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【読者投稿15】20代や30代のころとは段違いに死というものを身近に感じています。

読者投稿

毎日、読ませてもらっています。まずは、これだけの記事を無料で読ませてもらっていることに「ごめんなさい!」と「ありがとう!」の気持ちでいっぱいです。これからも、記事の更新を楽しみにしています。

老いるということは、実は誰にとっても未体験なことであり、わかったつもりになっていても、実際に自分が体験すると、いかに過去の自分の理解が浅いものであったか気付かされます。KAIGO LAB は、そんな自分が、老いることを少しでも深く考えるヒントになっています。

まだ61歳の私ですが、20代や30代のころとは段違いに死というものを身近に感じています。そんな中、先の『過剰医療だけでなく、過少医療にも十分な注意が必要だ』にはハッとさせられました。私自身も、できれば、この記述にあるように過剰医療を排して、ひどい苦しみを味わわずに平穏に死にたい、と思ってきたからです。

脚本家である橋田壽賀子さんも「認知症になったら安楽死したい」と語り、それに頷く自分がいます。でもそれは、別の見方からすれば「認知症の人は生きるに値しない」という宣言になってしまっている危険性もあるのだと気づきました。個人的に安楽死を望むのは自由なのかもしれませんが、先の記事を読んで、それを公言してしまうことの危うさを強く感じるようになりました。

やはり、誰にとっても死は怖いものです。もしかしたら人間は、そうした死の怖さをはねのけるために「認知症になったら安楽死したい」といった強気なことを宣言してしまうのかもしれません。見苦しい最後は嫌だという他者の目を気にする考えも重要かもしれません。ですが本当は、たとえ他者からは見苦しくても死にたくないという気持ちも、自分の中にはあるのだというところが大事だと感じます。

老いると、なにかと恥ずかしい気持ちになることも増えてきます。しかしだからといって「自然に」という耳障りの良い言葉を受け入れて死んでいく必要はないはずです。自分で自分の命を価値のないものと考えてしまうのは、とても危険なことです。今起きているすべての出来事には光と影があって、一面だけを見てもてはやすことなく、両面から考えて、しっかりと生きていきたいと思います。

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