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日本の高齢化に伴い、日本全国に、高齢者の居場所としての集いの場が生まれています。ただ、そうした集いの場を管理運営するのは、容易なことではありません。しかも長期に渡って、信頼のブランドを築きながらとなれば、本当に大変なことです。
そうした中、2000年から現在まで、18年以上に渡って存在してきた、東京都北区コミークラブの活動が、論文として発表されています。コミークラブは、毎月第3土曜日に運営されている、レクリエーションを活動の中心とする高齢者の集いの場です。
こうした活動は、専門的には「ピア・カウンセリング(peer counseling)」や「セルフヘルプ・グループ(self help group)」の一種と考えることができます。その効果は様々な角度から検証されてきており、活動に意義があることは疑えません。
このコミークラブは、介護経験のあるスタッフと学生がボランティアとして運営してきたものです。こうした活動は、始めることは簡単なのですが、継続的に運営していくことが難しいのです。18年以上も続いているコミークラブの事例は、そうした中で、非常に参考になるものだと思われます。
コミークラブは、長期的に地域への貢献を続けてきた集いの場です。その運営の歴史は、大きく4つのステージに分けられています。それらは(1)行政主体の時代(2)住民主体の団体発足と停滞(3)社会福祉協議会との連携と活性化(4)新体制の模索、といった具合です。
特に注目したいところは、行政との距離の取り方でしょう。行政が主体となっている場合、活動の目的は明確で、予算もつくため、運営面での苦労はあっても、活動が滞るようなことはありません。しかし、今後の日本のことを考えると、こうした活動において行政が主体となれるケースは減っていくでしょう。
コミークラブは、その後、行政から完全に独立し、レクリエーションを中心とした介護予防的な活動をする団体になりました。しかし、ボランティアと高齢者の関係性は対等ではなく、ボランティアが高齢者に対して「施す」という形ができてしまい、企画もマンネリ化して停滞期を迎えます。
この停滞期を脱したのは、社会福祉協議会との連携でした(社会福祉協議会は半官半民の組織)。この社会福祉協議会との連携は、財政面での強化に繋がっただけでなく、コミークラブに対してボランティアと高齢者が共に会を盛り上げていく(対等な関係)という視点をもたらしました。
そして会の発足から20年近い時間がたったいま、ボランティアだった人のうち5名が、今度は自分自身が高齢者として、参加者の側に回るという状況担っています。これに伴い、コミークラブは、新体制の模索をしつつ、活動を継続しています。
コミークラブの活動事例から学べることは(1)行政と距離を置いた運営は大変(2)長期的な活動の継続には企画力が必要(3)社会福祉協議会との連携を考えること(4)ボランティアと高齢者の関係性をフラットに(5)人の出入りがあることを前提にみんなで対話していく、といったことでしょう。
長期的に活動を続け流ということは、ボランティアも高齢者も、常に入れ替えが起こっていくということでもあります。その時に大事になってくるのは「私たちは、なんのために、この団体を維持していくのか」といった、活動の理念です。
こうした理念は、ボランティアも高齢者も、一緒になって対話していく文化によって維持されるものです。対話がなければ、誰かが団体を離れてしまうだけで、なんのための団体なのかといったコアのところが弱まってしまうからです。
これはちょうど、学校の部活動のようなものと考えるとわかりやすいかもしれません。活動を引っ張る上級生が必ず卒業していくという部活動においては、文化の継承が、対話を通して行われているでしょう。
より詳細は参考文献とした論文を読んでいただくとして、この論文の最後で指摘されている「ボランティアとして、参加者として活動することそのものが、介護予防につながっている」という、著者の長期にわたるコミークラブ運営の経験談は、とても重要です。
※参考文献
・小宮山 恵美, 『介護者とともにつくる地域高齢者の「集いの場」の活動報告 : 18年間の歩み』, 帝京科学大学紀要 = Bulletin of Teikyo University of Science (15), 249-254, 2019-03-31
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