KAIGOLABの最新情報をお届けします。
現行の介護制度でも、生活支援として、買い物の一部や掃除の一部などが支援対象としてカバーされています。しかし、要介護者が仕事をする場合、その仕事をするための支援は、カバーされていないのです。介護とは、自立支援を目指すものですから、これはおかしな話なのです。
そうしたことは、当然、日本の介護制度を設計する厚生労働省も十分理解しています。しかし、国の財政が逼迫しており、社会福祉のための財源が枯渇するいま、ギリギリでやりくりしなければならない状態では、とてもそこまで支援を広げられないというのが現状です。
ただ、介護が必要な人の中には、能力的にも経験的にも、十分に仕事ができる人も多数います。外国人労働者を受け入れることも重要かもしれませんが、こうした潜在的な日本の労働力を活用することも、国の施策として非常に重要なものであることは疑えません。
こうした中、さいたま市は、独自の施策として、仕事をしているときも介護の支援が受けられる制度を導入しています。本質的であり、優れていると思います。以下、朝日新聞の記事(2018年12月3日)より、一部引用します。
常に介護を必要とする重度障害者が自宅で仕事をすると、その間は重度訪問介護が受けられない。それが就労の機会を狭めているとして、さいたま市の清水勇人市長が3日、補完するサービスを市独自に提供する考えを明らかにした。(中略)
重度障害者は、障害者総合支援法に基づき市町村が運営する24時間対応の「重度訪問介護」が利用できる。だが、自宅でパソコンなどを使って仕事をすると、その間は訪問介護が受けられない。制度を所管する厚生労働省が「在宅就労の支援は、恩恵を受ける企業の役割」としているからだ。(後略)
こうした支援のある自治体に暮らしている要介護者は、企業としても、採用しやすくなります。まずは企業が、そうした動きをしていくことで、要介護者の就労支援の輪は、全国に広げていくことが可能になります。逆に、ここで企業が動かなければ、この取り組みは止まってしまうでしょう。
長期的に考えたとき、介護が必要になっても働ける環境が整備されていることは、自分自身の未来として魅力的ではないでしょうか。介護が必要になったからといって、仕事の能力的な意味で、社会参加ができなくなるわけではありません。多くの問題は、仕事とは関係のない身体的な部分だったりするわけです。
人生100年時代に突入し、極端な少子高齢化社会になっている日本の場合、この問題はとても深刻です。将来的には、心身になんらかの障害を抱えている人だけで構成されている企業も、珍しい存在ではなくなっている可能性さえあります。
その人がどのような状態であっても、人間としてこの世に生を受けた限り、社会の中に「普通に」溶け込んでいける状態が理想です。これを社会福祉の世界ではノーマライゼーション(Normalization)と言います。
心身になんらかの障害を持って生きることは、誰にでも起こることです。私たちは平均として、だいたい、人生の晩年10年程度は、介護を必要とします。その10年を、みじめな思いをしながら生きるのか、それとも、障害とともに豊かに生きるのかは、社会の成熟度にかかっています。
そうした社会の成熟度は、誰かが高めるものではなく、さいたま市が先陣を切ったような施策を、みんなで日本全国に広げていくという方法でしか高まりません。さいたま市の素晴らしい取り組みを、ニュースで終わらせることなく、少しでも積極的に応援していきたいものです。
※参考文献
・朝日新聞, 『在宅就労の重度障害者に介護を さいたま市、独自支援へ』, 2018年12月3日
KAIGOLABの最新情報をお届けします。