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20代から親の介護が始まるということ(岡崎杏里さん)

20代から親の介護が始まるということ(岡崎杏里さん)

岡崎杏里さんが23歳のとき、岡崎さんの父親は若年性認知症と診断されています。そんな岡崎さんはいま、父親の介護やガンを患った母親の看病の日々を綴った『笑う介護。』(マンガ:松本ぷりっつ, 成美堂出版, 現在は絶版)の出版を機にフリーライター、エッセイストとして活躍されています。

当時は独身でしたが、岡崎さんは介護と看病をしながらも結婚されています。ご主人と5歳の子育てをしながら、近所に住むご両親のサポートを行うダブルケアの生活をされています。今回は、約20年間もの期間に及ぶ介護と看病に向き合い続けて、結婚や出産を経てダブルケアに直面している現状や『笑う介護。』の出版に至った経緯について語ってもらいました。

岡崎杏里さんのダブルケア

岡崎さんの父親は、53歳から脳血管性の若年性認知症になりました。岡崎さんは、当時、23歳だったそうです。大学を出て新卒で出版業界の仕事をしていました。その頃の岡崎さんは多忙で、父親の介護は母親に任せていたそうです。

しかし、岡崎さんが26歳の頃に、今度は母親が卵巣癌による闘病生活を送ることになりました。それにより、岡崎さんによる父親の介護がはじまっています。友達が徐々に結婚しはじめ、子どもを出産する人もいる中で、仕事と介護に追われる自分と比べてしまい、落ち込む時期があったそうです。

当時は、岡崎さんには、お付き合いをしている方がいたそうです。が、介護の話をすると「重すぎる」といわれ、別れた経験があります。そのことも余計に現実を辛く感じさせたそうです。

介護をしていても、結婚や子どもを持つことは叶うのかと悩みました。介護をしていて生活が大変なのに、そのうえ家庭を持つことでもっと大変になるのではないかと感じていたのです。

しかし岡崎さんは、悩んだ末に「家庭を持つ」と決めて、婚活をしました。そんな岡崎さんは「現在は、結婚して子どももいるけど、なんとかなっている。もちろん、価値観や状況は人によって違うけれど、私と同じようなことで悩んでいる人には大丈夫と言いたい」と当時を振り返ります。

また、子どもが生まれたことにより、当然のように大変なことは増えましたが、岡崎さんの場合は、それでも家庭内に活気が生まれたといいます。現在は、ダブルケアの状態であり、それは簡単なことではありません。しかし良いこともあると岡崎さんはいいます。

『笑う介護。』を世に送り出したエピソードについて

岡崎さんが両親の介護と看病を行っていた時期は、転職して間もない頃でした。岡崎さんはこのころ、心身の疲労からうつ病になる直前の状態と診断されてしまいます。心療内科の担当医は、父親の介護については社会資源を使わないと、岡崎さん自身が潰れてしまうとアドバイスをくれたそうです。

岡崎さんは、母親と話し合い、介護保険サービスの導入を決意しました。この時の岡崎さんは、自分自身で介護保険サービスの手続きを行い、介護環境を整える準備を行っています。それを働きながらこなすことは、大変な労力が必要でした。

30歳を目前とするころ、母親の病状が安定し、生活が落ち着いてきました。岡崎さんは、自身の将来のスキルアップを目指し、改めて編集を学ぶ講座を受講しました。その後、ご自身の介護体験を振り返る意味でも、介護をテーマにした卒業制作に取り組まれたそうです。

この卒業制作は、岡崎さんの代表作である『笑う介護。』の原点になっています。『笑う介護。』が出版された2007年には、まだまだ介護には暗いイメージがあったと岡崎さんは感じていたそうです。しかし、父親の介護の中に笑えるエピソードがあると編集者との会話の中で気づいたといいます。

介護をしていた当時は、辛くて悩んだこともいっぱいありました。みんな辛い思いをして介護を頑張っているのに、そこに笑いを持ち込むことに対して、岡崎さん自身にも葛藤があったといいます。

しかし、介護をしている当事者だからこそ、その中に笑いもあることも伝えたいという、自分なりの結論を出しました。また、母親の看病の中で、人間は、笑うことによって免疫力を高めることができるという知識を得たことを思い出し、そこに意味もあるのではないかと考えるようになりました。

当時は、介護の中に笑えるエピソードを探すという視点は少なかったそうです。しかし、岡崎さんは笑いを交えた介護のエピソードを書くことで、介護の辛く暗いイメージを変えていくことができればと望まれています。

若いころから介護をされている方に向けてのメッセージ

若いころから介護をされている方の中には、仕事と介護の両立や、結婚し、子どもを持つことをあきらめる人もいるかもしれません。ですが、それらを自分の人生に望むのであれば、何とか希望を見つけ、あきらめないで欲しいです。

もちろん、人それぞれに事情は異なるため、私の事例だけで全てが語れるとは思っていません。ただ、若いころから介護をすることになる人は、これからますます増えていきます。何とか、それぞれの希望が少しでも叶うよう、それぞれの立場から、お互いを支え合っていきたいです。

私が介護を始めた20年前は、ヤングケアラーやダブルケアという言葉自体がありませんでした。その言葉ができただけでも、世の中が動き出していると感じています。言葉ができて、当事者たちが自分の人生も大切にしながら動き出したら、世の中が明るくなるかもしれないです。

参考資料
・澁谷智子(2018)『ヤングケアラー 介護を担う子ども・若者の現実』中公新書
・岡崎杏里、マンガ:松本ぷりっつ(2007)『笑う介護』成美堂出版
・岡崎杏里、マンガ:松本ぷりっつ(2010)『みんなの認知症』成美堂出版
・岡崎杏里、マンガ:フカザワナオコ(2009)『婚活なヒトビト』成美堂出版
・ヤングケアラープロジェクトHP https://youngcarerpj.jimdofree.com
・日本ケアラー連盟HP https://carersjapan.jimdo.com

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