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立ち上がれない状態からのリハビリ!要介護3から要支援1へ回復した背景から学べること(藤井真理さん)【後編】

前編からの続き)

藤井真理さん
藤井真理さん

藤井さんが、お母様の介護で、特に気をつけたこと

一時は要介護3(排泄、入浴、立ち上がり、歩行などが自分ひとりではできない)の状態にあったお母様は、何としても自宅に帰りたい、自立した生活を送りたいという強い意志を持っていました。そして、リハビリ病院に転院した直後には、不安定な体勢ながら、自力でトイレに行けるところまでの回復ぶりを示したのです。

藤井さんは、お母様が、老人ホームのような介護施設に入居したくない(自宅にいたい)、車イスなど補助具の世話になりたくないという気持ちに注目しました。このお母様の希望を満たすために、藤井さんは、お母様のモチベーションに配慮した対応をはじめます。

藤井さんは、週末をフルに使い、さらに平日は会社を早退したりしながら、週3回は母親のもとに通いました。これは、藤井さんが、コミュニケーションの専門家であったことが背景にあります。苦しいリハビリと戦うお母様に必要なのは、娘である自分とのコミュニケーションの「量」と「質」であると考えたのです。

確かに、お母様のところには、ヘルパーや看護士が来てくれています。しかし、多くの被介護者を抱えているヘルパーや看護士は、忙しすぎて、お母様だけと十分なコミュニケーションを取ることはできませんでした。また、同室の患者さんはそれぞれに難しい問題を抱えており、コミュニケーションを楽しむ相手としては、最適とは言えませんでした。そこで、藤井さんはいくつかの工夫をしました。実際に藤井さんが実施した対策を、以下に示します。

(1)月日・曜日の感覚が失われがちなお母様の枕元に、卓上カレンダーを持ち込んだ。

その上で、初めて入院した日から何日目、転院した日から何日目、今日は何曜日、退院予定日まであと何日、という具合に、一緒に日数を数えた。また、冬に入院し春に退院するといった具合に、できるだけ明るいことに気を向けるコミュニケーションを行った。

(2)可能なかぎり、お母様のリハビリ会場で共に時間を過ごした。

リハビリ会場にいるときは、お母様の頑張る姿を「見ているよ」という姿勢でいた。また、お母様と、介護士などとのコミュニケーションが「途切れる空白」を埋めるように心がけた。できるだけ、お母様が一人でいる時間を短くした。

(3)今日は昼食に何を食べたか、何が美味しかったか、など楽しい記憶を思い出すような会話をした。

特に、病院食が美味しくなかったことを逆手に取り「病院の食事よりはずっといいね」といったコミュニケーションを行った。

(4)日々の楽しみが増えるような工夫をした。

例えば、おやつや夜食に、お母様の好物であるヨーグルトを持ち込んだり、伸びた髪を切ってあげ、美容にも配慮するなど。お母様も、リハビリメニューの中から、塗り絵の作品を枕元に飾るなど、余裕の出てきた後半には自分なりの工夫を取り入れるようになった。そうした工夫する姿勢そのものを褒めるようにした。

このような努力があって、お母様は、認知症の疑いすらあった状態から、意識もはっきりとしてきました。藤井さんは、自分が長年開発してきたコミュニケーション・スキルが、お母様の状態を改善できるという手応えを得たのです。

藤井さんの決断と、その決断ができた背景

お母様とのコミュニケーションの「量」を増やせば、お母様の状態は、もっと改善することがわかりました。しかし逆に、自分が介護から遠ざかってしまえば、お母様の状態は悪化し、結果として、介護はもっと大変なものになってしまいます。

これ以上、状況を悪化させないという「予防」という意味からも、藤井さんは、お母様とのコミュニケーションの「量」を増やすという決断をします。すなわち、当時の職場からの退職と、自宅で仕事ができるフリーランスとしての独立を行ったのです。

藤井さんが、迷い無く退職を選べたことには、背景があります。それは、藤井さんがキャリアの専門家でもあり、自身のキャリアプランをしっかりと持っていたことが大きいのです。

35歳のときから、藤井さんは、人事部門のマネージャーとして活躍してきました。マネージャーとしての知見を高めると同時に、人事全般のゼネラリストを目指さずに、人材育成・組織開発・採用といった専門性を磨いてきました。それは、藤井さんには、いつかフリーランスでコンサルタント/講師になるという計画があったからです。そのために、多くの業界人との人脈も構築していました。藤井さんは、この計画を前倒しします。そして、住まいも、お母様の自宅から3分の距離に引っ越しました。

現在、藤井さんは、フリーランスとして4枚の名刺を持ち、自宅にいながらにしてご活躍されています。そして結果として、お母様は、当初は要介護3(排泄、入浴、立ち上がり、歩行などが自分ひとりではできない)という重い介護レベルにあったお母様は、要支援1(生活の一部に手助けや見守りが必要)という介護レベルにまで改善します。

この改善には、運やめぐりあわせということもあるでしょう。しかし、そこには藤井さんの将来を見越したキャリアプランと、献身的な対応があったことも事実なのです。

私たちが藤井さんから学びたい教訓

– 介護の初期には、相談窓口を活用する
– 相談窓口だけでなく、インターネットも活用する
– 要介護認定を受けて、ケアマネに会うと、少し楽になる
– 被介護者とのコミュニケーションに十分な配慮をする
– キャリアプラン作成では、介護の可能性についても視野に入れておく

藤井さんから、介護に苦しむビジネスパーソンへのエール

私が特別、介護が上手ということはありません。それに、色々な状態の人がいるので、私の対応が参考になる人もいるかもしれませんが、まったく役に立たないという人も多くいるでしょう。

それでもなお、介護は、多くの人にとって長期的であり、かつ先の見えない戦いだと思います。このためには、なによりも、介護者である自分自身も健康でないといけないと考えています。

特に、自分自身のメンタルヘルスに注意していただきたいです。私の場合は、笑ったり泣いたりして、感情の発散ができる機会を意図的に増やすようにしています。自分に会った、自分自身のケアを見つけることが大事だと思います。

とても大変な戦いですが、一緒にがんばりましょう!
 

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