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立ち上がれない状態からのリハビリ!要介護3から要支援1へ回復した背景から学べること(藤井真理さん)【前編】

藤井真理さん
藤井真理さん

藤井真理さんは、83歳になるお母様の介護をしています。現在は、お母様の介護をきっかけとして、フリーランスの人事コンサルタントとして独立されています。

藤井さんは、外資系製薬会社などで、採用・人材開発・組織開発に20年以上従事してきました。また、ビジネススクールにて10年以上、人的資源管理論(HRM)の教鞭をとられてきた、人材マネジメントの専門家です。

KAOGO LAB編集部は、藤井さんのが介護しているお母様の介護レベルが改善されたという情報を得ました。そこで、私たちも藤井さんに学べることがあるのではないかと考え、取材を申し込みました。取材では、人材マネジメントの専門家の視点から、ご自身の介護への関わりを振り返っていただきました。

藤井さんが、介護に巻き込まれていく背景

お母様は、お風呂場を掃除しているときに、なんらかの原因で(おそらくは滑って)倒れてしまいました。その後、湯船から出られなくなってしまいました。時は真冬。残り湯の温度がどんどん低下する金属製の湯船に、7時間も閉じ込められてしまったのです。

結果、お母様は低体温症になってしまいました。そして、救急車でICU(集中治療室)にかつぎこまれました。一時は、生死のはざまをさまよったそうです。藤井さんは、当時勤務していた会社で有給を取り、お母様の救急車手配、入院手続きなどの対応に負われます。

お母様は、なんとか命だけは助かったものの、四肢がほとんど動かず、かつ、意識がもうろうとした状態でした。

間もなく、お母様の意識は戻り、体力も回復してきました。ただ、3週間にわたる入院生活で、四肢は萎えてしまっていました。しかしながら、急患専門の救急病院としては、これ以上、お母様に対して実行できる治療はないと判断します。救急で運ばれてくる、より重症の患者に、ベッドを空けるために退院して欲しいというのも当然でした。

退院するとは言っても、自分で歩くことが困難で、まだ認知活動も十分に戻らず、食事も特別なものが必要というお母様を、自宅に帰らせるわけにも行きません。バタバタの中、藤井さんは、要介護認定の申請をして、お母様は、要介護3(排泄、入浴、立ち上がり、歩行などが自分ひとりではできない)という、かなり厳しいレベルの要介護認定を受けます。そこで、リハビリ機能を持った病院への転院に動きます。

しかし、リハビリ機能を持った病院はどこも満床でなかなか空きがありません。運良く、キャンセルで空きがでた転院先が見つかったのは、退院予定日の3日前という状況でした。

藤井さんの不安は、ケアマネに会うことで軽くなったが・・・

まず、お母様が入院したとき、将来、お母様はどこまで回復するのか、まったく予測がつきませんでした。寝たきりになるかもしれないし、そうしたら、自分はお母様と同居し、介護しなければならないのではないか・・・。現在3時間かけて通勤している千葉市幕張での仕事は続けられるのか・・・。不安でいっぱいでした。

はじめ入院した病院には、相談窓口がありました。藤井さんは、藁をもつかむ思いで、この相談窓口にお母様の状況と家庭の事情を打ち明けます。藤井さんの場合は、ここではじめて「自分は、母親の介護をするのだ」という自覚が芽生えました。それから、介護施設の見学をしたり、インターネットで調べたりして、介護についての勉強に力を入れました。

要介護認定を受け、ケアマネ(ケアマネージャーの略;介護サービス利用のプラン作成を助ける専門職)を選びました。そして、ケアマネの話を聞いて、介護というのは、プロを巻き込んだチーム戦であることを理解し、全部、自分がやらなければならないという不安は減りました。気分が少しだけ楽になった瞬間でした。

ケアマネに相談しながら、和式の家のバリアフリー化をすすめました。お風呂を介護向けに改修し、家中に手すりもつけました。風呂の改修中は、有料のデイサービスも使いました。家事補助のヘルパーさんにも来てもらいました。なにか難しいことがあれば、ケアマネに相談しながら、初期の介護を乗り切っていきました。

藤井さんは、お母様の入院以来、2箇所の病院、そして退院後はお母様の住む自宅に通い詰めていました。そこから、往復3時間という道のりを行き来しての通勤が、藤井さんにとって大きな苦痛になっていきます。藤井さんは、そこで、大きな決断をします。

後編に続く)

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