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噛む力や、飲み込む力の衰えた高齢者(要介護者)向けの食事を、特に「介護食」と言います。一般には「介護食」というと、なんだか嫌な気持ちになるということで「やわらか食」「やさしい献立」「ユニバーサルデザインフード」といった様々な名前で呼ばれています。
この市場は、現在は「1,000億円程度」にすぎないのですが、この市場は「潜在的には2.5兆円市場」とも言われています(食料産業局資料より)。可能性としては、いまの25倍くらいまでは成長する、期待できる市場なのです。
しかも、この市場を開拓できたら、海外への展開も可能になっていくという点は無視できません。現在の日本は、4人に1人が高齢者(2013年の段階で人口の25%)という状況にありますが、世界もこれから、日本の後を追って高齢化してくるからです。
「介護食」がこれから巨大市場になることは間違いないのです。ですが、実際に新事業として介護食の開発に関わっている人に話を聞くと「そんなに成長していく感じがしない」という印象のようです。今回は、この背景について、少し考えてみます。
多くの食品メーカーは「介護食」ということで、既存の食事メニューを細かく砕いたり、ムース状にしたりという対応が多いように思います。こうした発想の起点になっているのは、既存の食事メニューであり「自分の常識」す。
これに対して、あるべき「介護食」の設計フローとしては、発想の起点を、噛めない、飲み込めない高齢者にしないとなりません。そうした人が、楽しんで健康な食事をするというところ、すなわち「噛めない、飲み込めない人の常識」から逆算して、メニューを設計する必要があるのです。
「そんなこと、わかってるよ」
本当でしょうか。ビジネスを生み出すには(1)お祭りがある→人通りが多い→そこにお店を出すと儲かる;マーケティング(2)全く新しいお祭りを生み出す;イノベーション、の2つのアプローチがあります。
そして今回の「介護食」の市場開拓に必要なのは、後者のイノベーションです。そこに潜在市場があるからということで、ただお店を出しても、お祭りがなければ、人通りもないのです。それでは、市場は広がっていきません。
理解のために、現役世代をブダイに、そして高齢者をボラにたとえます。不謹慎だというコメントをもらいそうですが、どちらも平等に別の生き物にたとえているということで、ご容赦ください。
ブダイは、死んだサンゴに付着した海藻を、サンゴごと「ガリガリ」と削り取り食べています。このため、噛む力が強く、歯も発達しています。ブダイがこうしてサンゴを「ガリガリ」やってくれているからこそ、南国の白い砂浜ができるのです。あの美しい砂は、ブダイが噛み砕いたサンゴの死骸なのです。なお、ブダイには胃がありません。
これに対してボラは、ブダイとは異なり、海底の砂の中にある海藻を「チリトリ」のような口を使って砂ごと飲み込んでいます。上手に海藻だけ消化する、すぐれた胃を持っているからこそ、できることです。しかしボラは、ブダイのように、サンゴごと「ガリガリ」などできません。ブダイとは異なる環境に適応しているからです。当然、ブダイとボラは、好みの海藻も異なります。
介護食の市場を新たに生み出すということは、ブダイ(現役世代)が、サンゴを少し細かくして、ボラ(高齢者世代)に売るということではありません。ボラの好みを考えて、ボラのためのレストランを作り、まったく新しいメニューを生み出すということです。ボラの生態を理解し、ボラが楽しめるお祭りを生み出すことが大事なのです。
今の日本は、75%の現役世代と、25%の高齢者世代でできています。この比率は、今後はどんどん高齢者のほうにシフトしていきます。レストランなども「現役世代を顧客の中心としているが、高齢者もこれる」という視点から「高齢者の顧客を中心とする」ようなところも出てくるでしょう。このとき、シェフは「少し細かくしたサンゴ」は決して出しません。
過去にも『新規の介護事業は、なぜ失敗するのか?大きすぎる盲点に気づいていない経営者が多い。』という記事で考えていますが、そもそも「現役世代は高齢者のことがわからない」というところからはじめないとならないのです。
人間には「新奇恐怖(ネオフォビア)」という特性が備わっています。要するに「新しいものは、怖い」ということです。特に子供のころに強く出やすい(子供の約15%)と言われています。知らない人「ひとみしり」が典型的なものです。
食事の好みにも、この「新奇恐怖」が出やすいです。過去に食べたことがあって、安全であることがわかっているものを食べるのは怖くないでしょう。しかし、新しいものには、もしかしたら毒が入っているかもしれません。毒でなくても、自分にとってはアレルギーを起こすものかもしれないのです。
子供のころのほうが「新奇恐怖」が強く出るのは、体の弱い子供の場合、ちょっとした毒でも死んでしまう可能性があるからです。大人になっても「おふくろの味」が好きというのも、同じロジックで説明できます。それは安全だから美味しいのです。味覚とは「食べてもよいものか」を判断するセンサーとして発達してきたものなのですから。
そして、この「新奇恐怖」が、介護食のビジネスを拡大していく上で、難関になるのは明白です。まったく新しい市場を作っていくとき、メニューは、見た目も味も、まったく新しくなると思われます。これにどう対処するのでしょう。
最近、海外でもラーメンや寿司の人気が上がっています。しかし、日本人からすれば「いまさら」という感じがします。ラーメンや寿司が美味しいということは、日本人であれば(もちろん例外的に嫌いという人もいますが)誰もが知っていることだからです。
「新奇恐怖」という概念を知らないと「どうして、こんなに美味しいものが海外に浸透するのに、これほど時間がかかったのか」を不思議に思うでしょう。その理由は、海外の人にとってラーメンや寿司は「新奇恐怖」の対象だったからです。
つまり、新しいメニューを理解してもらい、好きになってもらうには、大きな「教育コスト」がかかるということです。新しいものを提案しても、それが受け入れられるまでには、相当な時間もかかります。こうした時間もまた「教育コスト」です。
ラーメンや寿司についても、それに情熱をもって海外に紹介してきた人々の長年の苦労があって、やっと「新奇恐怖」が克服されたのです。
ここで、こうした「教育コスト」の負担には、一つ大きな問題があります。それは、誰かが一度「教育コスト」を負担してしまえば、後から参入してくる人々は、それに「ただ乗り」できるということです。「新奇恐怖」がない市場では、もはや「教育コスト」もいらないからです。
そうなると、まったく新しい「介護食」を高齢者に受け入れてもらうための「教育コスト」は誰が負担するのでしょう。ビジネスである限り、誰もが「ただ乗り」を画策し、わざわざ「教育コスト」を負担しようとは思わないはずです。
個々の企業が、バラバラに市場にチャレンジしている限り、誰も「教育コスト」は負担しません。しかし、誰かがこれを負担しない限り、市場は拡大していかないというのは、ラーメンや寿司の例を考えるまでもなく、明らかなことです。
もし、私が顧客に「何が欲しいか」ということを聞いていたら、彼らは「もっと速い馬が欲しい」と答えていただろう。
ヘンリー・フォード
ここが、マーケティングとイノベーションの違いです。イノベーションを浸透させるには、必ず「教育コスト」の負担が必要になります。自動車を一般に普及させたヘンリー・フォードもまた「自動車とはなにか」ということを認知してもらうための「教育コスト」を支払ったのです。
人間は、具体的な形にして見せてもらうまで、自分が何が欲しいのかはわからないのだ。
スティーブ・ジョブズ
おそらく、スマートフォンの起源と言えるのは、SONYが2000年に開発・発売した「CLIE(クリエ)」です。しかし、これは失敗に終わりました。理由は「教育コスト」の負担ができなかったからです。Appleが初代iPhoneを発売したのは、その7年後の2007年です。
iPhoneが出たばかりのころは「iPodの入った電話」といった理解が一般的だったと思います。まず「iPod」というものがなんなのかを理解させた上で、そこに「電話」という、誰もが知っている概念を追加したのです。いきなり、スマートフォンの概念を教育したのではないという点が優れています。
いまでは、スマートフォンのない生活など考えられないでしょう。それが「iPodの入った電話」どころではないことは、明らかだと思います。ただ、私たちは、スマートフォンの登場以前(iPhoneの登場以前)に、スマートフォンを欲しいとは考えていなかったのです。
今現在「介護食」を開発している人々が、この市場に対して「そんなに成長していく感じがしない」という印象を持っているのは、当然です。なぜなら、誰も「まったく新しい高齢者向けのメニュー」というものを見たことがないからです。見たこともないものを「欲しい」とは思えないのが人間なのです。
日本が、世界における「介護食」の市場をリードするためには、誰かが「教育コスト」を支払わないとなりません。これを無視して、自然に浸透していくことに任せていたら、必ず、海外のメーカーにやられてしまいます(日本の場合、まいどのことですが・・・)。
しかし大きな「教育コスト」の負担は、一つの企業にはまず無理なことです(逆に、ジョブズが偉大なのは、これを1社でやったことです)。であればこそ、コンソーシアム(企業連合)を形成して、日本の食品メーカーが一丸となって「教育コスト」を分散して負担し、まったく新しい市場を開拓していく必要があるのです。
※参考文献
・食料産業局, 『介護食品をめぐる事情について』, 2013年
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