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当たり前のことですが、人は、病気になる生き物です。若者であれば、病気になっても、それを治療すれば(通常は)病気をする前の状態に戻ります。しかし高齢者が病気になると、その病気自体は治療されたとしても、生活機能の障害を起こし、病気になる前の状態には戻れないことが多くあります。
このとき、病気が治療された後の状態がどうなるのかは、病気になる前の状態によって大きく変わります。医療という視点からは、病気になった後のことを考えます。これに対して、病気になる前の状態を、少しでも健康なものにしておくことが介護予防の視点です。
具体的に言えば、よく食べ、よく動き、よく笑うことが、介護予防の基本です。しかし、これらは簡単なことではありません。歯の調子が悪くなれば、食べることが面倒になります。腰が痛くなれば、散歩も苦痛です。子供が独立していれば、家族の笑いも減ってしまいます。
高齢者になると、基本的に、様々な能力が「徐々に」衰退していきます。問題は「徐々に」というところで、本人が「これはおかしい」と気づくころには、衰退がかなり進んでしまっていることが多いのです。
しかし、高齢者本人が「このままではマズいから、介護予防をしよう」と思わない限り、なかなか、具体的な行動は起こさないというところが難しいのです。ということは、大事なのは、高齢者本人が、自らの衰えに「気づく」ための機会ということになります。
自らの衰えに「気づく」には、普段どおりの活動をしていてはわかりません。「気づく」には、ちょっとした無理が必要なのです。たとえば、飛んできたボールを避けようとしてそれに失敗したり、バスに遅れまいと走ったら足がもつれて転んでしまったりといったことです。
「無理がきかなくなった」という自覚から、高齢者は、自らの衰えを知ります。ということは「気づく」ためには、無理が必要ということになります。しかし、意図しない無理には危険が伴うことが普通です。
そこで登場するのが理学療法士です。安全な環境を準備して、その高齢者の状態にあった「適度な無理」を準備します。ギリギリの状態で、少し背伸びをして、この無理を成し遂げようとするとき、高齢者は自らの限界を知り、また、その限界をそこで止めるための運動をすることへの意欲を得るのです。
放っておけば、人間というものは、いつのまにか寝たきりになってしまうのです。高齢者本人が「これではいけない」と思い立ち、よく食べ、よく動き、よく笑うということを意識して、常に「適度な無理」をし続けることが、健康で文化的な高齢者ライフの基礎となるのです。
そう思い立つためにこそ、どこかで理学療法士に会う機会も必要になってきます。機会をみつけて、介護予防セミナーなどに出席するといったことが、高齢者の人生にとって非常に重要なことなのですが、残念なことに、これがなかなか浸透しないのです。
※参考文献
・大渕修一, 『介護予防的視点から生活を支える』, 理学療法学 41(Supplement_1), 218, 2014-05-30
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