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愛と恋の違い。あたかい介護が成立する条件とは?

愛と恋の違い

以下の記事内容は、あくまでも私見です。違う考え方も多数あることを踏まえた上で、おつきあいいただけると嬉しいです。

恋は感情、愛は理性である

恋は、感情です。ですから、恋に落ちてしまうことは、理性ではどうしようもないことだったりします。もちろん、だからといって、恋に落ちてしまえば、そちらに走っていくわけではありません。理性がそれを止めることもあります。

心理学的には、いかなる感情も、長続きしないことがわかっています。ですから、恋(2〜3年で消える脳内ドーパミンを基礎としている)も、いつかは冷めてしまうわけです。熱しやすく、冷めやすいというのは、個性ではなくて、そもそも人間の感情の特徴でもあります。

これに対して愛は、誤解を恐れずに言えば、理性です(冷たいという意味ではありません)。より具体的には、相手のために、自分が損をすること(自己犠牲)を受け入れるということです。愛(活動によって増減するオキシトシンを基礎としている)は、ですから、長期的に積み上がります。

一方通行の恋は簡単、一方通行の愛は難しい

恋は感情ですから、相手にたいして一方的にも成立します。片思いというやつですね。切ないですが、この世界は多くの片思いでできています。それが成就しないときのほうが、かえって、恋の感情は長続きしたりもするので、やっかいです。

これに対して、愛は、相手の利益を考える理性ですから、一方的には成立しにくいものです。お互いの利益を考えあう関係であればこそ、お互いのために自分を犠牲にし、お互いがそこから利益を得ることができます。ここに大きな不公平があると、愛を続けることが難しくなるのです。

人間は弱い存在ですから、いつまでも一方的に相手を愛していると、自分ばかりが犠牲になることがばかばかしくなります。聖人でない限り、愛は、健全な相互依存関係の中に育まれるものです。

愛する相手は、自分の意思で決めることができる

恋愛結婚のほうが、お見合い結婚よりも幸せかというと、どうでしょう。恋愛結婚でもうまくいかないこともあれば、お見合い結婚でもうまくいくこともあります。むしろ、愛という視点からは、お見合いのほうが優位かもしれません。

結婚とは「自分は、この相手のために、犠牲になる」ということを、お互いに約束することです。それは、感情の問題ではなくて、理性による契約です。恋の勢いで結婚してしまうと、恋は冷めますから、後になって「感情がなくなった」という理由で破綻してしまうことがあります。

しかしお見合いの場合、そもそも感情を前提としていません。ですから、感情的なことを理由とした破綻もありません。お見合い結婚が後になって破綻する場合は、どちらかが結婚の契約に違反して、愛(相手のために自分を犠牲にすること)が一方通行になってしまう場合です。

愛は、そうした意味では打算的です。ただ、それは、そんなに悪いものではないと思います。いつか、相手と死別するとき「自分の幸せのために、最も貢献してくれたのは君だ」という真実があればこそ、相手に対して深い感謝を示すことができるのですから。

あたたかい介護が成立するときの親子関係には愛がある

子供として親の介護をしているときは、いまさらいうまでもなく、子供が親の犠牲になります。介護者(子供)は、要介護者(親)のために、精神的、身体的、経済的な負担を強いられることは、事実として受け止めないとなりません。子供から親への愛が、介護を成立させているのです。

ですが、要介護者となった親は、子供のために犠牲になるだけの余力がなくなっている場合がほとんどです。介護を通して、親子関係が崩れてしまうことが少なくないのは、介護においては、愛が、子供から親への一方通行になりがちだからです。

このとき、ギリギリのところで介護者である子供を支えてくれるのは「ずっと昔に、自分のことを愛してくれた親の姿」です。自分が生まれたときの親の喜びようを示すエピソードだったり、小児喘息で眠れないときに背中をさすってくれた記憶だったり、本当に困っているときにお金を出してくれたことだったり。

親に愛されたという記憶のない子供に、親の介護はやれません。やれたとしても、それは作業としての冷たいものになるでしょう。因果応報というのは、愛を前提として成立している、人間社会の根本原理なのでしょう。

人間社会を成立させているのは、親の愛である

親から子供への愛(広い意味では大人から子供への愛)だけが、見返りを求めない形で成立します(出産のときオキシトシンは母親の体内で多量に作られる)。ですから、親から受けた愛だけが、子供の中に一方的に「貯蓄」されます。親から受けた愛が多い子供は、その「貯蓄」を他者のために使います。

しかし他者は、愛が一方通行であってはいけないと知っているので、お返しをしてくれます。健全な相互依存関係を前提としている人間社会は、愛の等価交換を意識しているからです。このとき、はじめの「貯蓄」は減っていないことに気がつかれるでしょうか。

ここで重たい事実があります。この一連の流れは、はじめに「貯蓄」がないと、生まれないのです。愛は、それを使ってから、返ってくるまでに時間差があります。先に振り出す「貯蓄」がないかぎり、つまり、先に(イニシアチブを取って)一方通行的な愛をはじめられないかぎり、この流れには乗れません。

親から受けた愛の多い子供は、たくさんの人の幸せのために「貯蓄」を使い、その行為から、たくさんの人に愛されます。結果として「貯蓄」は減ることもなく、人生を通して、多くの健全な相互依存関係を楽しむことができます(もちろん、帰ってこない愛もあるでしょうが)。

そう考えたとき、あらためて、親の愛の重要性が理解できます。広くは、親だけでなく、教師も含めた周囲の大人からの愛が、子供の未来にとって決定的に重要なものになります。そしてそれは、この人間社会をよりよい場所にするための原動力なのです。
 

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