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要介護者となった親は、それまでできていたことのいくつかが、できなくなりします。時間とともに様々な能力が衰え、自信をなくすことも普通に見られます。そして周囲に「自分は、バカになってしまった」「自分は、情けない身体になってしまった」という具合に、自虐的な発言をすることもあります。
家族(介護者)としては、親のこうした自己否定を聞いても楽しくありません。冗談のように話してくれるならまだしも、深刻な感じであれば、聞いているほうの気持ちもネガティブになります。しかし困ったことに、親によっては、こうした自虐的な発言を病的に繰り返したりもします。
家族は、つい、そんな親に対してイライラし、きつめに叱ってしまうことがあります。親はそれに反発し、自分の気持ちがわかってもらえないと不満を爆発させたりします。皆の気分が、本当に悪くなってしまうケースです。そして、こうしたケースは実際によく聞きます。
自己否定をするのは構いません。ただ、それをわざわざ発言して、いったいなんの意味があるというのでしょう。実は、この背景には、要介護者となった親ならではの「守りたいもの」があるようなのです。
自己否定を発信するということは、すなわち、自分の客観性をアピールすることです。他者から「あなたはバカだ」「あなたは不自由だ」とレッテルを貼られることに先回りして、自分はそれを客観的に観察していると伝えたいのです。
恐れているのは、他者が自分のことを悪く言うことです。それをされる前に、自分で自分のことを悪く言えば、他者は普通「そんなことないよ」と言ってくれるでしょう。このとき、要介護者となった親が守ろうとしているのは「プライド」です。
自らの「プライド」を守るために、自己否定をしてみせるのです。他者に悪く言われる前に、先制攻撃として、自己否定をするのです。それは、ギリギリの行為であり、悲しくも人間らしいものです。
友達と遊んでいて、転んでしまったとき、おどけながら「うわ、俺、バカすぎる」といった自虐的な発言をしたことはないでしょうか。それは、友達から「バーカ」と言われる前に、先制攻撃的に急いで発言していたはずです。
子供は、こうした自虐的な発言をして友達を笑わせた上で、その後、影に隠れて泣いたりします。友達に冷やかされる前に、とにかく急いで友達を笑わせるという部分が重要です。これによって、冷やかされて「プライド」が傷つくということが避けられるからです。
ですが、友達が見えないところで、泣いていたりします。それほど、私たちは、他者に冷やかされたり、バカにされたりすることが嫌なのです。人間は、そうした点では、とても弱い生き物です。
強がって自虐的な発言をしたとき、私たちは、本当は泣きたかったはずです。自己否定をしながら「プライド」を守ろうとする親もまた、本当は泣きたいのだと思います。そんなふうに考えると、少しだけ、ほんの少しだけですが、優しい気持ちにもなれるときがあります。
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