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誰かのためなら頑張れるという不思議を、もっとうまく活用できないかな?

誰かのためなら頑張れる

介護のプロからよく聞く話として

ヘルパーは、利用者(要介護者)の家では、掃除、洗濯、調理をこなしています。日々の仕事ですから、それぞれ、どんどん上手になっていきます。ですが、ヘルパーの自宅はというと・・・掃除は週に1度程度、洗濯物もたまっていて、食事もコンビニ弁当だったりします。

「あれ?昨日と同じ服?」というのは、ヘルパー同士では気がついていても、いちいち指摘しません。それなのに、利用者の清潔には、十分に配慮していたりします。利用者がカゼでもひけば、病院に連れていき、その後も心配で寝られなかったりするのに、自分の体調には無頓着なこともよくあります。

こうした話は、本当によく聞くもので「不思議だよね」というあたりで、話は終わりがちです。介護のプロとの飲み会でも、定番の話として出てきます。今回は、この「あるある話」を、もう一歩だけ進めてみたいと思います。

私たちは、自分のためには頑張れない

仮に、無人島に1人で漂着したとします。そこで一生をすごした場合、私たちは、どこまで成長できるでしょう。どこかの段階で、退屈のあまり、生きる気力すら失ってしまうように思います。

では、同じ無人島に2人で漂着したとします。喧嘩もあるでしょうが、いろいろな思い出を作りながら、人生が過ぎていきます。途中、なんらかの理由で、相方の、自分ではない方の人が、怪我をして、要介護状態になったとしましょう。このとき、私たちは、退屈になったり、生きる気力を失ったりするでしょうか。

そこには、自分が頑張って生きる意味があり、多少、自分を犠牲にしても、日々を充実したものにしていける可能性があります。自分だけなら、いつもの木の実でよかったとしても、弱っている相手のためには、海で美味しい魚を捕まえることも楽しみになります。

このあたりは、利用者には美味しい手料理を出しながら、自分はコンビニ弁当でも満足というところに似ています。人間の可能性を引き出すには、他者の役に立てる機会が必要なのです。私たちは「自分のことはどうでもいい」と思えるような人生を求めているのでしょう。

介護されるほうも、おなじ気持ち

介護されるほうも、一方的に、自分が助けられてばかりでは、気力を失っていきます。なにか、相手の役に立つことがしたいし、そこから生きる気力を得ていくのは、同じことでしょう。

ということは、介護というのは、やはり一方的なものでは成立しないという考えが浮かんできます。無人島で、一方的なサービスを受けた相方は、結果として弱っていくでしょう。そこからの回復には、双方が、双方のために頑張れる機会が必要です。

このように考えるとき、介護の難しさは、自立すら難しくなった要介護者に、どうやって、他者のために役立てる機会を創出していくかという点に集約されるのかもしれません。本質的には、自分の環境が清潔で美味しい食事にありつける生活よりも、誰かに対して、そうしたことを提供できる状態を求めているわけですから。
 

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