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料理において、主食となるご飯にそえられるおかずのことをお惣菜(おそうざい)と言いますね。こうしたお惣菜は、現代社会においては、スーパーやデパートの地下には専門のコーナーがあって、そうしたところで手軽に購入できるものになっています。冷凍食品でも、多様なお惣菜が入手できます。
しかし、少し前の時代には、コロッケでもハンバーグでも、ほうれん草のお浸しでも、ひじきの煮付けでも卵焼きでも、漬物でも、とにかくなんでも自宅で作っていたものでした。そうした時代の人は、家庭の食卓や子供のお弁当に持たせるものは、全て手作りが基本で、出来合いのお惣菜を使うことには罪悪感を持ったようです。
出来合いのお惣菜を使うことは、愛する家族のための手間暇をおしむことであり、恥ずかしいことだという価値観が、過去にはあったのです。今でも、高齢者の中には、そうした価値観を持っている人も少なくありません。しかし現代的には、出来合いのお惣菜を使うことは、恥じることのない当たり前のことです。
もちろん、今でも出来合いのお惣菜を好まない人はいます。しかしその理由は、単純に、出来合いのお惣菜の味が気に食わなかったり、値段に納得が行かなかったりと、費用対効果から考えた判断として、お惣菜を避けているだけです。そこに、昔のような罪悪感はないのが普通だと思われます。
現代では、共働きが主流となり、専業主婦はどんどん減っています。多くの人々が、限られた時間の中で、より高付加価値なことに自分の時間を集中させることは、この社会を発展させる基礎になります。その他のことは、できるだけアウトソースした方が、社会効率も高くなります。
例えば、ここに、子育てをしながら新薬の開発に従事する研究者がいたとします。社会的には、その人でなければならないこと(子供と一緒に楽しむことなど)以外は、できるだけ新薬の開発に集中してもらうべきでしょう。そうした人がお惣菜を使わずに、全ての料理を時間をかけて自分で行うことは、社会的損失になります。
そうした人がお惣菜を積極的に使うようになれば、プロとしてお惣菜を作る人の雇用を生み出します。料理が好きで得意な人たちが、プロとして、他の家族のためにも価値を提供するようになれば、社会全体にとって良いことになります。
大事なのは、外で働くことも、料理をすることも、どちらもそれ自体は家族への愛情表現ではなく、プロフェッショナルとして費用対効果を考えるべきものだということです。毎日、時間をかけて自分で全ての料理をするという選択があっても良いですが、それは贅沢な趣味になりつつあるわけです。
実は、介護のプロの周囲でも、これとよく似た話があります。親の介護を、子供が直接やらずに、介護のプロを入れることを恥ずかしいと感じる人が、結構な数で実在するのです。子供が直接、親の介護をすることは、子供による親への愛情表現だと考えてしまう人が一定割合いるということなのでしょう。
お惣菜の場合もそうなのですが、直接自分がやらないということについて、罪悪感をもつ必要はありません。そもそも介護のプロが介護をした方が、より費用対効果が高くなることは明白です。愛情表現は、料理や介護ではなく、一緒にいてお互いの話をよく聞いて、共に楽しい時間を過ごすことで行うべきことです。
お惣菜を使うことで料理の時間を減らし、そうして浮いた時間で、子供と対話をした方が、より良い家庭になるでしょう。それと同じように、介護のプロを入れることで介護の時間を減らし、そうして浮いた時間で、自分の人生を前に進めながら、ときには親と一緒に旅行に行ったりした方が良いはずです。
繰り返しになりますが、料理も介護も、それ自体が家族への愛情表現であった時代は終わっています。ほとんど外食で済ませている家族が世間になにも恥じるところがないように、ほとんど介護のプロに任せていることを恥ずかしいと思う必要はありません。本当の問題は、家族をちゃんと愛しているかということです。
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