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多すぎるもの、少なすぎるもの

多すぎるもの、少なすぎるもの

多すぎるもの

超高齢化時代に突入し、介護を必要とする高齢者が増え続けています。介護の中でも認知症の介護は、かなりの負担となるのですが、認知症は今や、介護が必要になる理由のトップになっています。2025年には、軽度認知障害(MCI)を含めて1,100万人の人が認知症に苦しむことになると予想されています。

これにともなって、国が負担する医療・介護費と年金もまた増え続けています。日本は賦課方式(ふかほうしき)と呼ばれる、現役世代が高齢世代に「仕送り」をするような社会福祉構造をとっているため、これはそのまま現役世代の税負担(社会保険料を含む)を高めます。

高齢者が激増し、介護を必要とする高齢者もまた激増します。これが、国の負担を激増させており、結果として現役世代の負担が多すぎるという状況が生まれています。この多すぎる問題については、根本的な解決策はありません。とにかく、多すぎる問題は、これからどんどん顕在化していきます。

少なすぎるもの

介護業界で、プロとして介護サービスを提供する介護人材が不足しています。経済産業省による試算では2015年に4万人不足していた介護人材は、2025年には43万人の不足にまで拡大し、2035年には79万人の不足となります。

これだけ深刻な人手不足だと、介護がなければ生きられないのに、介護サービスを受けることができない高齢者が出てきてしまいます。考えたくありませんが、道端で高齢者が亡くなっているという未来が出現しかねないのです。

こうした介護業界の人手不足は、業界レベルで足りていないことからも明らかな通り、介護業界の外から人材を確保して埋めるしかありません。しかし介護業界の給与は少なすぎて、全業界でも最低の待遇と考えられています。少なすぎる給与で、人手不足を解消する方法はありません。

抜本的な改革がなければ悲惨しかない

多すぎる問題と、少なすぎる問題が合わさってやってくる私たちの未来は、悲惨しかありません。しかし、介護を必要とする(多すぎる)高齢者と、介護を担う(少なすぎる)介護人材という2つの問題は、すでに見えている未来です。

放置すれば、悲惨です。しかし、今の段階でわかっているのですから、成り行きの悲惨な未来を回避するための施策を考えて実行することもできます。ただその施策は、そう簡単なものではなく、痛みを伴う、大規模な改革になります。

政府による様々な支出を極端に抑制する必要があります。広い意味での税率も極端に高めないとならなくなります。その上で介護業界の待遇を大幅に改善し、解雇規制を弱めた上で、500万人近くにまで登ると言われる社内失業者を介護業界に転職させないとならないでしょう。

抜本的な改革は難しいとすれば・・・

しかし民主主義国家である以上、政府の支出を減らし、税率を高めるという施策は、政権を崩壊させてしまいます。自らの身を滅ぼすような選択は、普通はできません。そうなると、先に述べたような抜本的な改革は、事実上不可能ということになりそうです。

そうなると、多すぎる、少なすぎる問題は、そのギャップを顕在化させながら、行くところまで行ってしまいます。私たちは、かなりの混乱を経験することになりそうです。しかもその混乱は、2040年代まで拡大を続け、今の現役世代は、自分たちが高齢者となってそうした悲惨を体験することになります。

どうしても確認しておくべきなのは、この悲惨は、どこかの誰かの話ではなく、私たち自身の未来だということです。自分自身に介護が必要になったとき、また、自分の配偶者などに介護が必要になったとき、実感することになる悲惨です。タイタニック号の沈没を避けるために残されている手立てはあまりにも少ないというのが実情です。

※参考文献
・SankeiBiz, 『介護人材不足、35年に79万人 15年の20倍 経産省試算』, 2018年5月8日

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