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孤独死の問題は、ほぼ、毎日のように、どこかのメディアが取り上げています。もちろん、孤独死は問題です。それにも関わらず、自治体の7割には、孤独死の実態調査の予定がないという事実は、とてもよくないことです。
同時に、孤独死というのは、結果です。孤独死、すなわち法医学的な「死亡時の目撃がない死(unwitnessed death)」という状態に至る背景には、日常的な孤独という真の原因があることを忘れてはならないでしょう。
統計的に考えれば、高齢者の方が日常的に孤独になりやすいというという面はあるものの、孤独は、高齢者だけの問題ではないことは明らかです。今後、日本の大きな社会問題として、孤独死という結果よりも、日常的な孤独という原因の方に、もっと注目が集まるべきだと考えています。
定年退職には、一般には「悠々自適なお気楽生活」「毎日が日曜日」「趣味を活かした第二の人生」といったポジティブな印象があります。しかしその実態は、人間にとってもっとも重要とも言える社会的なつながりを失うという、恐ろしいイベントです。
孤独を考えるときに参照されるウェイス(Weiss)の6因子で考えると、同僚という信頼できる他者を失い、愛着のある職場を失い、顧客から感謝される機会を失い、そして、若手を育成する喜びを失うといった具合に、定年退職は、孤独の量産につながるイベントであると結論づけられるのです。
そう考えたとき、日本は、社会問題として定年退職を考え、その前後で必要な支援を議論する必要があるはずです。また、当然のこととして、ことの本質は、仕事から切り離されてしまうことにあるわけですから、失業だったり、子育てや介護のための離職といったことも、同じ支援の枠内で議論しなければなりません。
それにも関わらず、孤独死という結果だけがニュースになっていくことには、危機感を覚えます。同様に、年金問題なども、支給される金額という結果ばかりがニュースになり、その根本原因である現役世代の所得が増えないというところには、注目が集まりません。
オリンピックについては、もう、やることを決めたわけですから、今更中止するという議論にはならないでしょう(本当は中止という議論もすべきですが)。それはそれで良いとして、問題は、オリンピック後の日本をどうするのかという議論です。
オリンピックが終わるのを待つまでもなく、日本の貧困化(二極化)とベーシックインカムの議論、離職からくる孤独をどう緩和するのかという議論、介護業界の待遇改善とサービスの供給力不足に関する議論など、すぐにでも開始しないと間に合わなくなるテーマがたくさんあります。これらを先送りすれば、私たち自身の未来がひどいことになってしまうのです。
※参考文献
・金涌 佳雅, 『孤立(孤独)死とその実態』, 日医大医会誌 2018; 14(3)
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