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まだ介護が始まっていない人であっても、介護の準備をしておくことは、とても重要です。そうした認識が広がってきたからか、最近、そうした介護が近づいてはいるものの、まだ、実際の介護は始まっていない人からの相談を受けることも増えてきました。
そうした人の悩みは、それぞれに異なります。ですから、一般的にこうということは言えないのですが、一つ気になることがあります。それは、自分を育ててくれた親に介護が必要になったら「できる限りのこと」をしてやりたい、というコメントです。
「できる限りのこと」というのは、具体的にはどのようなことを意味しているのでしょう。極端に言えば、自分の人生を投げ打ってでも、親の介護のために、全てを捧げるということになってしまいます。そこまで極端ではないにせよ「できる限りのこと」というのは、わかりにくい言葉です。
介護をする側が何を考えていたとしても、人生を投げ打って親の介護をしている人というのは実在します。そうしたケースの全てが間違いとは言えないものの、そうした介護が長期化・重度化してしまうと、ミッシングワーカーになってしまう確率が上がります。
ここで一歩だけ具体的に考えておきたことがあります。「できる限りのこと」という言葉を発する時にイメージしているのは、介護のために忙しく立ち回って疲れている自分(=自分イメージ)なのか、それとも、心身に何らかの障害を持ちながらも笑っている親(=親イメージ)なのか、ということです。
自分イメージで「できる限りのこと」をするということは、自分の人生を投げ打つという方向に向かってしまいます。しかし親イメージからの「できる限りのこと」というのは、親が少しでも平穏でいられるための手段を考える方向になるでしょう。
これは、よくある手段と目的の話にも近いものです。介護の目的は、介護を必要とする人が、少しでも自分らしく(高齢者福祉の3原則に従って)生きていくことです。介護はその手段になっており、そこには助けを求めるべき専門家がたくさんいます。
もちろんこれは理想であり、現実は、そんなに簡単な話ではありません。親が介護がなければ生きられない状態になっていることも多く、その場合は、親の生命維持のための介護となり、介護そのものが目的という状態も実在します。それでもなお、介護の専門家の力が必要です。
ただ、まだ介護が始まっていない準備段階において介護を考える場合、親に受けた恩に対して精一杯の介護を行うということを意識するよりも「どうすれば介護が必要になった親が少しでも平穏でいられるのか」ということを意識する、すなわち親イメージを持つことが大事だと思うのです。
親が少しでも平穏でいられるために「できる限りのこと」をしようとするのであれば、何よりもまず、親についての理解を深めることが大切です。親の友人関係、親が行きつけにしているお店、親が楽しみにしている行事やテレビ番組など、そうしたことを「できる限り」理解しておきたいのです。
それというのも、親の介護は、どこかで認知症の介護になる可能性も高いからです。認知症になったとしても、親の理解があれば、親の好みに合わせた介護ができるため、比較的平穏な介護を届けることも可能になります。しかし、親の価値観に合っていない介護は、親を混乱させてしまうこともあります。
親が認知症になってから、より平穏な介護を実現するために親を理解したいと思っても、本人との意思の疎通が困難になるため、こうした親についての情報は得にくくなるのです。だからこそ「できる限りのこと」は、親の介護が始まる前に、少しでも多くの人にはじめてもらいたいと考えています。
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