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【介護の日】介護業界で働く人に求められる「5つの専門性」について考えてみたい

【介護の日】介護業界で働く人に求められる「5つの専門性」について考えてみたい

まず、介護とはなんだろうか?

今日(11月11日)は介護の日です。日本全国で、介護についての啓蒙活動が行われる日であり、介護業界が、世間から、少しでも多くの関心を集めるチャンスでもあります。KAIGO LABでも、毎年、介護の日には、それに関連して、なんらかの発信を行ってきました。今回は、介護業界の専門性をテーマにしてみたいと思います。

まず、3大介護という言葉があります。排泄、入浴、食事の補助が、その3つの内訳です。この言葉の存在によって、介護とは、排泄、入浴、食事の補助であるという認識が、世間に広まってしまっています。極端には、介護のことを「シモの世話」だとする人もいます。ここには、非常に大きな間違いが含まれています。

たとえば、メーカーで仕事をしている人のことを思い浮かべてみます。その人の日々の業務は、スケジュール調整、会議への出席、報告と指示を出すことだとします。だからといって、メーカーとは、これらの業務を遂行するために存在しているということにはならないでしょう。メーカーとは、会議への出席ではありませんから。

実際にメーカーは、たとえば「卓越した技術力によって、人々の生活の課題を解決する」といった仕事をしています。スケジュール調整、会議への出席、報告と指示というのは、そのための手段の一部にすぎないのです。介護においても、排泄、入浴、食事の補助は、大きな目的を達成するための手段にすぎません。

あくまでも個人的な定義ではありますが、私は、介護とは「心身になんらかの障害をおっている人に対して、生きていて良かったと感じられる瞬間を創造し届ける」という仕事だと思っています。介護業界は、この大きな目的を達成するために、様々な専門性の習得に励んでいる業界なのです。

儲かればいいという発想からは卒業しているが・・・

資本主義は、人間を幸福にしないという意見が、世界で広がってきています。もちろん、資本主義は、人類の様々な問題を解決し、多くの人々に幸福を届けてきたことも事実です。ただ、その限界が、そろそろ見えてきているという話です。貧富の二極化、環境破壊、資源の枯渇といった問題は、資本主義では解決できないのです。

利益がでないと、いかなる組織も、その大きな目的は達成できません。先のメーカーの例で考えても「卓越した技術力によって、人々の生活の課題を解決する」ためには、どうしても利益が必要です。しかし、本来は、手段にすぎない利益が目的にすりかわったとき、大きな目的は失われ、組織の存在意義もなくなってしまいます。

現代の日本からは、本来は力強く存在していたはずの、そうした大きな目的が失われつつあるように思います。そうした日本において、これからますます、大きな目的に向かおうとしているのが介護業界だと思っています。まったく儲からないし、世間からは誤解されてしまっても、介護業界は、大きな目的を失っていません。

とはいえさすがに、毎年、過去最高の倒産件数を記録しつづけているような状態は異常です。それでは、大きな目的を見据えてはいても、そこに到達することができなくなるからです。たしかに、介護業界は、決して「儲かれば、あとは知らない」という態度をとりません。ただ、かなり苦しい状況にあることは事実です。

介護業界が苦しいということは「心身になんらかの障害をおっている人に対して、生きていて良かったと感じられる瞬間を創造し届ける」という仕事が、うまくいっていないことを意味します。高齢化とは、心身になんらかの障害をおっていくことだとすれば、これは非常に大きな問題なのです。

介護の専門性とはなにか

まず、専門性とは、その人が毎日行っている活動の中にしか存在しえないものです。介護とは「心身になんらかの障害をおっている人に対して、生きていて良かったと感じられる瞬間を創造し届ける」という仕事とするならば、それは(1)相手の価値観を理解し(2)活躍の場を整えて誘い出し(3)その活躍の継続に向けた支援を行う、といったことに整理できると思います。

介護は、心身が弱っている人に、消化試合のような日々を繰り返してもらうためにあるのではありません。最後の瞬間まで、少しでも、その人らしく生きられることを支援するからこそ、介護には意義があるわけです。自分の人生さえあきらめてしまいそうな人に関与し、勇気付け、笑顔になってもらうために、介護業界があります。

そう考えたとき、介護の専門性とは(1)相手の価値観を引き出すための言葉がけ(2)相手の活躍の場を整えて誘い出すための見守り(3)相手が少しでも長く活躍するための総合的な支援、ということになります。ともすれば(3)の支援活動ばかりに注目があつまり、3大介護という言葉が使われてしまうのですが、それは求められる専門性の一部にすぎないのです。

もう一つ、介護にとって重要な専門性を挙げるとするなら、それは(4)年齢差別との戦いです。高齢者の差別は、社会からはもちろん、高齢者自身もまた、知らず知らずのうちに行ってしまっているものです。「もう、こんな歳なんだから、無理だよ」といった言葉は、介護業界にとって大きな敵になっています。

これらの専門性は、本来の教育に求められるものと非常によく似ています。しかし「自分以外の誰かが、自分には無理だという気持ちを乗り越え、この社会で大いに活躍していくこと」を大きな目的とした活動である教育もまた、今の日本では、資本主義の原理に巻き取られてしまっているように思えます。

介護を輸出産業に育てることが、日本に残されている最後の希望

世界もまた、資本主義の限界に直面しています。そうした世界には「自分以外の誰かが、自分には無理だという気持ちを乗り越え、この社会で大いに活躍していくこと」を後押ししてくれる専門家の存在が、どうしても必要です。こうした専門家が世界で活躍することが、日本に残されている最後の希望です。

介護業界は、それだけ、日本の未来のみならず、幸福な世界の実現にとって重要な業界なのです。しかし、介護の定義さえ誤解されているいまの日本においては、介護業界は「厳しい仕事なのに、儲からない業界」になってしまっています。実際に、介護業界の待遇は、全業界と比較してもダントツの最下位なのです。

こうした経済的な状況を改善しないと、大きな目的が達成できないのは明らかです。しかし、日本の政府には、もはや、介護業界の大きな目的を支援するだけの財務的な体力がありません。こうした環境において求められるのは、民間からの大きな投資以外にはありえないのです。

矛盾しているようですが、儲かればいいという資本主義の発想から卒業している介護業界に、いまこそ必要なのは、資本主義的な考え方です。それによって、他の業界から投資を呼び込み、利益を確保していかないと、大きな目的に向かってはいても、その達成はできないからです。

ですから、いまの日本の介護業界に求められる最後の専門性は(5)投資家について理解し、投資家の言葉である経営学を知り、それを使いこなして利益を出しながらも、大きな目的を見失わないというリーダーシップです。私は、介護業界に、プロの経営者が増えていくことが、日本の未来にとってとても重要なことのひとつであると信じています。

まとめ

介護の日である今日、日本では様々な議論がなされていると思います。そうした議論が、どこに向かうものなのか、本論が考えるきっかけとなれば幸いです。以下、本論で指摘した「介護業界で働く人に求められる5つの専門性」を、まとめとして再掲しておきます。

(1)相手の価値観を引き出すための言葉がけ
(2)相手の活躍の場を整えて誘い出すための見守り
(3)相手が少しでも長く活躍するための総合的な支援
(4)社会のみならず高齢者自身もおちいる年齢差別との戦い
(5)経営学を基礎としつつ大きな目的を見失わないリーダーシップ

KAIGO LAB 編集長
酒井 穣

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