KAIGOLABの最新情報をお届けします。
定年退職は、解雇規制が強く、従業員が解雇されない日本において、長年に渡って運用されてきた制度です。特定の年齢になったら、いかなる事情があったとしても、役員などの例外をのぞいて、基本的には退職しなければならないというのが、この定年退職です。
定年退職をして悠々自適、毎日が日曜日、趣味に没頭といった話は、洗脳に近い間違ったイメージです。現実の定年退職とは要するに失業であり、社会との接点を強制的に失う、かなり残酷なものです。多くの人が、毎月減り続ける預金残高に怯えながら、退屈のうちに暮らしているのです。
そもそも、定年退職の前提には、強烈な年齢差別があります。「もう、そんな年齢なのだから、現役を引退しなさいな」というのは、ひどい話です。差別というのは、差別される側が、それが差別であることに気づかない状態にあるとき、恒常化します。定年退職とは、そうしたものの典型例です。
現在、定年延長の議論が、様々なところで行われています。背景にあるのは、止まらない少子高齢化による未曾有の人材不足です。これだけの人材不足になると、定年退職されてしまったあと、その人の抜けたところを補充する人材が獲得できないのです。
また、年金財源が不安な国にとっても、定年延長は、非常に都合のよい話です。国も民間も、どちらにとっても、定年退職は困るという認識になっているいまこそ、定年退職という年齢差別がなくせるかもしれない、最後のチャンスでもあります。
誤解を避けるために付け加えておきますが、これは、死ぬまで働けということではありません。年齢に関係なく、なんらかの理由で働くことができなくなった人のためのセーフティーネットは必要です。しかし、特定の年齢になったら、働きたくても働けないという状況の異常性については、もっと広く認識されてよいと思うのです。
繰り返しになりますが、こうした定年延長の議論があるのは、あくまでも人材不足という現実があるからです。こうした人材不足は、景気が悪化し、人工知能が浸透してくれば、解決してしまいます。解決するどころか、それを超えて、今度は大失業社会が登場してくるでしょう。
そうなってしまえば、年金財源はもちろん、生活保護のための財源まで枯渇してしまいます。その先にあるのは、国は定年延長を進めたくても、民間がどこもそのような話には乗れないという状況です。そのとき、解雇ができない日本においては、定年退職による従業員の自然減がなければ、企業は倒産してしまいます。
その時代が到来したあとは、年齢差別は、より強化されてしまうでしょう。それどころか、従業員を解雇できないことによる倒産も増えてくることで、日本の解雇規制が緩和されるということも起こります。定年の前倒しも発生するかもしれません。そのとき、日本の二極化は、極限に近いところまで進んでしまうわけです。
正社員であれば、定年退職まで雇用が守られるという環境は、本当は異常です。労働者の約4割りを占めるまでになった非正規の労働者は、短期契約の満了とともに、いつでも解雇できるわけです。これは、実質的な社会階層であって、その上位だけが守られるという状況は、明らかに不平等です。
ではすべての労働者を正社員にできるかというと、それは無理な話です。一度雇ってしまえば解雇できないということは、経営にとって巨大なリスクだからです。そうなると、この不平等を正す方向性としては、すべての労働者が非正規になる(または経営者になる)ということしかありません。
そこには、定年退職はありません。ある意味で、年齢差別もありません。ただ、おそらくは労働できる場もまた、かなり限られてしまうでしょう。そうした未来が来る前に、ベーシックインカムに代表されるような、より広いセーフティーネットを整備する必要があります。
ベーシックインカムは財源が確保できないから無理という意見もあります。ただ、ベーシックインカムが失敗するとき、もはや、近未来に到来する大失業時代を乗り越える策もなくなります。その先にあるのは、悲惨だけです。
KAIGOLABの最新情報をお届けします。