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子供の数が、過去最低を更新・・・というニュースに思うこと

子供の数が、過去最低を更新・・・というニュースに思うこと

子供の数が、過去最低に

いまさらですが、子供の数が、過去最低を記録しました。日本における子供の数は、過去37年連続で減少しています。昨年は、前年よりも17万人減ったという計算でした。「歯止めがかからない」という言葉の使い方として、日本における子供の数は、もはや最適なものになってしまっています。

恐ろしいのは、私たちが、このニュースに慣れてしまっていることです(そうでない人もいるでしょうが)。日本の高齢者福祉は賦課方式(ふかほうしき)という形を採用しており、子供の数が減るということは、私たちが高齢者福祉の対象となるころには、その影響をモロに受けることを意味しているのに、です。

子供の数が過去最低ということは、そのまま、私たち自身が高齢者になるころの高齢者福祉は過去最低ということです。年金がいくらになるか、医療費や介護費がどうなるか、想像したくもありません。とにかくそれは(とくに人口ボリュームの大きい団塊ジュニアの場合は)過去最低のものになるでしょう。

どうして私たちは危機感を持てないのか

こうした状況を政治のせいにするのは、ある意味で、おかしなことです。民主主義社会においては、政治家は、多数決によって決まるものであり、人々の総意だからです。ですから、政治がおかしいということは、私たちがおかしいということでもあります。

少子化が問題だと思うなら、子供を産み育てやすい社会の構築を「本気で」すすめる政治家に投票すればよいはずです。しかし現実は、そうなってはいません。日本の教育への公的な支出は、比較可能な34カ国のOECD諸国の中で最低でした。それで本当に世界で戦える人材が育つのでしょうか。疑問です。

つまり、私たちの多くは、心の奥底では、少子化をそれほど問題視していないのではないかという仮説がたちます。国の未来が、子供のありかたに依存しているということが論理としては理性で理解できても、感情や欲求はそれを理解してくれないということなのでしょう。

「正常性バイアス」が国を滅ぼすとするならば

自分にとって都合の悪い情報を無視したり、または過小評価する傾向のことを、心理学では特に「正常性バイアス」と言います。いまの日本が陥っているのは、この「正常性バイアス」の集団的発揮としか言えません。

この傾向が顕在化しているところで、論理的な話をしても通用しないでしょう。自分が高齢者になったときの日常生活が体験できるようなVR(仮想現実)のシミュレーション・ツールなどが求められるのかもしれません。そうしたツールがなければ、私たちの危機感は喚起されないようになっている可能性もあります。

生物には、等しく死がビルドインされています。生物の集合である組織にもまた、そうした死がビルドインされているように思えてなりません。実際にその日が来ても、私たちは、自分に起こったことを、どこか遠くの国で起こった不幸のように感じるのかもしれません。そして日本ではいま、人口の過半数が50歳を越えようとしています

※参考文献
・共同通信, 『子どもの数、最低更新』, 2018年5月4日
・日本経済新聞, 『教育への公的支出、日本また最下位に 14年のOECD調査』, 2017年9月12日

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