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ナッジ(nudge)の理論は、2008年に、リチャード・セイラー教授(シカゴ大学)とキャス・サンスティーン教授(ハーバード大学)により発表されたものです。今日では、この理論は行動経済学における考え方として定着しており、様々な分野に応用されつつあります。
この理論を説明するときに、よく引き合いに出されるのが、オランダのスキポール空港の男子トイレの事例です。この空港の男子トイレの小便器には、排水溝の近くに、小さなハエの絵がかかれています。この小便器を利用する人は、ついつい、そのハエを目標にするため、粗相が少なくなるというのです。
実際に、この効果は絶大でした。ハエの絵によって、なんと、男子トイレの小便器まわりの汚れが80%も低減されたそうです。この現象をうまく説明できるナッジの提唱者であるセイラー教授が、昨年2017年のノーベル経済学賞を受賞したことで、ナッジは、あらたに世界中の注目を集めています。
実は、この概念は、2008年にナッジという言葉が与えられる以前、もともとは、2003年に発表された論文『Libertarian Paternalism is Not an Oxymoron(=リバタリアン・パターナリズムは矛盾ではない』(Sustein and Thaler, 2003)ですでに提唱されています。
リバタリアン(Libertarian)とは、個人の自由を尊重する主義、すなわちリバタリアリズム(Libertarianism)に従う人のことです。そしてパターナリズム(Paternalism)とは、この真逆で、政府が国民に強制的に関与して、国民にあるべき行動をさせるという主義です。
ですから、先の論文タイトルは「自由を愛するリバタリアンに、あるべき行動をさせることは可能である」という意味になります。その背景には、オランダのスキポール空港の事例のように、個人の自由を尊重しながらも、社会的に望ましい行動を個人から引き出す工夫の存在があります。
さて、ナッグ(nag)とは「しつこく文句を言う」という意味の言葉です。これに対してナッジ(nudge)は「ひじで軽くつつく」ことを意味します。セイラー教授らは、先の論文で提唱した「リバタリアン・パターナリズム」という概念に、この絶妙なダジャレから名付けを行ったのでした。
この名付けという行為自体に、自由な人々が、つい食いついてしまうというナッジが効いています。「リバタリアン・パターナリズム」という名前では、これほどの広がりを見せなかったことと合わせて、この名付けがなされた背景まで理解すると、ナッジの面白さが一段深まるでしょう。
現在では、ナッジは「人間の自発性に対して望ましい影響を与える仕組み」といった意味で使われています。ここにあるのは、個人の選択肢を残しながらも、実質的には誘導するという考え方です。当然、マーケティングや人事などにも応用されています。
過去の経済学は、人間を「先入観なしに合理的な判断ができる存在」として考えて理論を構築してきました。これに対して、行動経済学は、人間を「先入観によっていい加減な判断をしてしまう存在」として扱いながら、理論を構築するという特徴があります。ですからナッジは、そもそも、行動経済学の中核をなす概念なのです。
実際に、セイラー教授がノーベル賞を受賞した理由も「心理学上、現実的な推定を、経済学における意思決定の分析に盛り込んだ(Richard H. Thaler has incorporated psychologically realistic assumptions into analyses of economic decision-making.)」というものでした。
これは行動経済学なのですから、ナッジの鍵になるのは、相手の意思決定に対して、どのような心理学的な要件(先入観)を与えるかということになります。そして近年、こうした先入観の刷り込みは、スキポール空港のハエの絵にとどまらず、広がりを見せてきています。以下、いくつか(わかりやすい)ナッジの事例を列挙してみます。
・コンビニのレジ前に足跡の絵がある(どこでもいいなら足跡に重ねたほうがよいという先入観)
・渋谷の混雑を誘導する警察に「DJポリス」という名前を与える(DJのプレイを邪魔するのは野暮という先入観)
・レストランのメニューに人気マークがある(どれでもいいなら人気のメニューがよいという先入観)
ここで重要になるのが、こうした事例では、どれも「強制」という概念が上手に避けられているということです。あくまでも、選択の自由は個人に委ねられています。それでも実際には、多くの人の行動が、こうしたナッジに誘導されているという部分が面白いでしょう。
しかし同時に、いつのまにか自分の行動が、誰かに管理されているという恐ろしさもあります。その方向が、この社会にとってよいことであれば問題ないかもしれません。しかし、ナッジを使う側が、必ずしも善人とは言えないことも想定しなければならないでしょう。
たとえば、サクラを使って行列を演出することもナッジの一つでしょう。本当は広告なのに、広告でないフリをよそおって第三者的な記事をバズらせること(ステルス・マーケティング)もまた、ナッジの一種と言えます。こうした行為に問題があることは、あらためてここで強調する必要もありません。
介護の世界には高齢者福祉の3原則(アナセンの3原則)と呼ばれる大切な考え方があります。ナッジに関係するのは、この3原則の中でも特に「自己決定の原則」になります。これは、高齢者の自由を尊重し、選択肢を与えるという考え方です。
しかし、高齢者が自分の選択として「閉じこもり(引きこもり)」を選んでしまうようなことは、一般には悪とされます。ですから、介護の世界では、高齢者が「閉じこもり」を選択しないように、様々なナッジを仕掛けていくことが推奨されます。
ここで考えておかないとならないのは「閉じこもり」は本当に悪なのかという部分です。高齢者が、本心から「一人で静かに暮らしたい」と考えていたとしても、それを高度なナッジによって破壊してしまう権利が、はたして、他者にあるのでしょうか。
ここには、簡単な回答はありません。ケースによっても、事情が異なることは明白です。ただ、ナッジの背景にあるのは、いかに個人の自由を尊重するとはいえ、実質的には「それとわかりにくい強制」であり、パターナリズムなのです。この部分については、介護に関わる人であれば、誰もが認識しておく必要があると思われます。
※参考文献
・Cass Sunstein, Richard Thaler, “Libertarian Paternalism is Not an Oxymoron”, University of Chicago, Law Review 70(4): 1159–202, 2003
・Novelprize.org, “Press Release: The Prize in Economic Sciences 2017”, 9 October 2017
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