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不適切な業界用語の使用と、認知症の人の介護について

不適切な業界用語の使用と、認知症の人の介護について

人間はどのように言葉を覚えていくか

人間は誰しも、周囲にいる人、特に専門家や業界人からの影響を受けます。具体的には、専門家や業界人が使っている業界用語や専門用語(以下、業界用語)を、いつのまにか自然に自分の言葉として使用するようになった経験があるのではないでしょうか。

一例を挙げてみましょう。私には舞台関係の趣味を持っている知人がいます。その知人と舞台を見に行くことがあり、待ち合わせをした際に知人から「上手(カミテ)の辺りの席にいるよ」と言われました。

舞台には、左右を表す言葉として上手(カミテ)、下手(シモテ)というものがあります。舞台の世界においては、左右と言っても、舞台の上から見た役者目線の左右と、舞台の下からみた観客目線の左右が真逆になってしまうからです。紛らわしいので、客席から見て右側を上手、客席から見て左側を下手としたのです。

これを知ってから、私もついつい、上手、下手、という言葉を使うようになりました。共通の趣味を持つ人であれば「上下(カミシモ)どっち」などと、いっぱしに略称まで使うようになりました。皆さんにもきっと、こうした経験があるはずです。

業界用語を使用していると、それを知っている人同士であれば、会話が円滑になります。さらに、その業界の通(ツウ)のような感覚を得ることもできて、気分が良いものです。さらに、仲間内であれば、業界用語を正しく使えないと、心理的な引け目を感じることもあるかもしれません。

介護業界の業界用語について

介護業界にも例外なくたくさんの業界用語があります。例えば、今では一般用語として浸透してきた「特養(トクヨウ)」や「老健(ロウケン)」という言葉も「特別養護老人ホーム」や「老人保健施設」の略称です。

私は、介護の資格取得を目指す初任者のための講義を受け持っています。数年前であれば、受講者から「先生、トクヨウ(ロウケン)って何ですか」と質問を受けることも多くありました。しかし最近では、トクヨウ、ロウケンでも普通に通じることが増えてきていることが実感されます。

介護業界特有の言葉が浸透してきたことは、社会の関心が高まってきたということとして、ある面で良いことだと私は考えています。しかし、そうして浸透していく業界用語の中には、誤った使い方がそのまま浸透してしまう悪い例がいくつかあります。

介護業界の不適切な業界用語について

特に、介護業界において蔓延してしまっている業界用語のうち、最も悪い使われ方をしている言葉があります。それは認知症の方の症状や状態のことを指して「ニンチ」と言うことです。「Aさんのニンチが最近進みましたね」「だんだんとニンチが進んできたらどうしましょう」「ニンチの人がこれから増える世の中ですよ」などです。

介護業界で一定の地位や名声がある方が、大人数の講演会で「ニンチ」と言っていたこともあります。介護関連の研修の講師が「ニンチ」と使用している例もありました。ケアマネジャーや介護医療専門職が「お父さんのニンチも進んできましたからね」と言う場面に出会ったこともあります。

認知症の方に対して「ニンチ」と表現することは侮蔑的であり、ご本人の尊厳を侵害する言葉として、介護業界ではこれを不適切としてきたはずなのです。しかしながら、あまりに多様な方面で、本来使うべきでない人が、使うべきでない場面で乱用してしまったため、悪しき業界用語として浸透してしまったのです。

そもそも、日本語の表記からしてもこの使われ方は誤っていることがわかるはずです。認知症の症状や状態が進行したことを伝えたいのであれば「認知症の症状が進んだ」「認知機能障害が進んだ」「記憶障害が進んだ」というような表現が現実を言い表しています。

しかし「ニンチ(認知)が進んだ」という表現だと、言い表したいことと逆に「認知する力や能力、機能が改善、向上した」という意味に捉えられます。用語としての使われ方が不適切であるだけでなく、内容自体も間違った伝達内容になってしまうのです。

こうした表現は他にも「ボケが進んだ」「指示が入らない」などあります。残念ながら未だに、多くの専門家でさえ、これを使用している現実もあります。そのため、新たに介護生活に突入する家族が、冒頭の舞台人に影響を受けた私のように、悪しき業界用語を使用して広げてしまっています。

不適切な業界用語の使用が生み出す負担

さて、実は間違った業界用語について注意喚起したいというのが今回の主訴ではないのです。こうした間違った業界用語は、実は介護者の介護負担を増大している可能性があるということをお伝えしたいのです。

認知症がある方は、その症状の進行や状態によっては次第に言語の理解が難しくなることがあります。家族の側からすると、言語理解が困難になること、すなわちコミュニケーションが難しくなっていくことは大きな介護負担となります。

また、認知症の方との言語コミュニケーションが難しくなってくる頃は、介護生活も数年目に入っていることが多いものです。そのため、家族にとっては長年の介護疲れが積み重なってくるタイミングでもあります。

そんなときは、家族としてもストレスも溜まり「どうせ言ったってわからないだろう」「我慢できない」という気持ちになることもあり、ついついキツイ言葉を認知症の本人に言ってしまうこともあります。

しかし、認知症の人は言葉の理解が難しくなっていても、相手が自分に対して酷いことを言っているかどうか、相手から嫌われているかどうか、相手が自分を攻撃しているかどうか、といった好き嫌い、快不快、好意、嫌悪という感覚は受け取れる力が残っていると言われています。

そして、その言葉を受け取ったことから湧き出る怒りや恐れ、不安や悲しみという感情もしっかりと残っていると言われています。私たちも、相手が自分の悪口や陰口を言ったり、バカにしたり、あざ笑っているかどうかについて、たとえその言葉がわからなくても感じることができることを経験しているはずです。

認知症の人もそれと同じなのです。ですから、明らかな攻撃的な言動はもちろんですが、上述している不適切な業界用語を発することも認知症の人には「自分がバカにされている」と伝わるものです。それが認知症の人の不安や混乱を増長させ、結果として家族が困ってしまう、様々な強い周辺症状として現れることもあり得るのです。

例え業界用語であったとしても、それが本当に認知症のご本人のことを尊重した言葉であるのか、誤った使われ方ではないのか、など一度立ち止まって考えてみるべきです。家族を苦しめているという認知症の人の周辺症状は、実は、誤った業界用語の使用に原因があるかもしれないのですから。

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