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日本の財政難は、もはやどうにもならないところまで来ています。今年度、国の収入(税金)は約63兆円なのに対して、支出は約97兆円になる見込みです。足りていない約34兆円は、借金(国債の発行)になります。毎年赤字を垂れ流して積み上がった借金の総額は約1078兆円です。国民1人あたり(0歳児も含める)だと約850万円の借金ということになります。もはや、聞き飽きた話でもありますね。
日本がギリシャのように破綻することになるのかは、はっきりしたことは言えません。国家には借金だけでなく金融資産(有価証券や貸付金)もあるため、バランスシートで考えると、実際の借金の額はもっと少なく、破綻はまだ遠いという意見もあります。さらに、先の税収と支出の金額は日本の一般会計についてのみの数字です。日本には一般会計以外に特別会計というものがあって、こちらも、実質的な税金のやりくりになっているため、ここも含めると、まだ大丈夫である可能性もあります。
いつ破綻するかはともかく、国家としては、これ以上、支出を増やしていくことはできません。しかし(1)労働力人口の低下によって税収が減る(2)高齢者の増加によって医療や介護の支出が増える、という未来は絶対に起こってしまうのです。収入が減るのは確実なのに、支出が爆発的に増えていく状態は、やはり破綻と言ってよいのかもしれません。どのみち、破綻の定義については、多くの人にとってそれほど重要なことではないでしょう。
増税は必須です。ただ、単純に増税をすればよいというわけにも行きません。ある一定ラインを超えて増税をすると、労働意欲が削がれ、さらに消費も減るため、結果として税収が減ってしまう可能性も高いからです(ラッファーカーブ)。そのラインがどこになるかを予測するのは難しいことですが、税率100%の世界で元気に働く人もいないでしょう。つまり増税だけによって、この問題を解決することはできないということです。とはいえ、とにかく財政難ですから、税金は(しばらくは)上げられていくでしょう。
人間は、自分になんらかの危機が迫っていても、なんとなく「自分だけは大丈夫じゃないか」と感じるようにできています(正常性バイアス)。雨で増水した川を見に行って亡くなってしまうといったことが後を絶たないのは、こうした人間に備わっている傾向のためです。日本の財政に関することは、多くの人にとって、どこかの他人の危機のように感じられても仕方がないということです。
しかし、これはあくまでも人間が持っている心理的な傾向による間違った認識(バイアス)です。日本という国家レベルの話もそうですが、個人レベルでの生活もまた、これから本当に大変な時代に突入していきます。むしろ、これまでの日本の個人が享受してきた世界最高レベルの経済環境と社会福祉環境があったことのほうが奇跡と言ってよいのかもしれません。貧しい国家まで含めて世界的に考えれば、日本はこれから普通の国家になっていくとも言えます。
ただ、普通の国家とは、平和に慣れ親しんだ日本の個人にとってはかなり厳しいものです。それは、衣食住を安定的に確保できるような状態ではなく、病気になれば治療や介護が受けられるような環境ではないからです。普通の国家では、それなりの生活ができるレベルでの生活保護のようなものは望めません。将来どうするかではなく、今日をどう生き延びるかということのほうが問題になるような状態です。
世界のニュースからは、紛争から発生する移民問題、貧困と飢えが刺激するテロ、気候変動からの自然災害、二極化からのストライキと各種サービスの停止といったことが聞こえてくるはずです。過去の日本においては、それらは、ある意味で別世界の話でした。しかしこうした状況のほうが普通の国家に起こっていることであり、過去の日本は本当に恵まれていたのです。
まず、年金や生活保護、失業手当や傷病手当といった、なんらかの理由で働けない人に対して支給されるお金は(ほぼ)確実に減らされていきます。インフレが起これば、金額的には同額を維持できたり、場合によっては増えるかもしれません。しかし、実質的には、支給されるお金で購入できるものは減り(たとえば自販機で買える飲料の価格が上がる)、誰もが生活レベルを下げざるを得なくなります。そうして生活レベルを下げる人が増えれば、景気も悪化していきます。
医療や介護は、これまでのように困ったときは誰でも頼れるものではなくなります。国家が負担できる部分が減るため、自己負担の部分が大きくなっていくからです。そうなると、いざというときにも専門家に頼れなくなり、とにかく自分でなんとかしなければならなくなります。薬を飲めば治るような病気でも、薬が高くて買えないという状況も普通に発生するでしょう(すでにガンの特効薬では起こりつつあります)。
それなのに、税金は上がっていきます。年金、医療、介護にかかる日本の費用は、110.6兆円(2013年)、119.9兆円(2015年)、131.7兆円(2020年)、145.8兆円(2025年)と上がっていくからです(財務省)。費用が上がっても、年金、医療、介護が必要な人が激増するので、1人あたりでは給付金(費用)が減らされるという前提での数字だと思ってください。社会的弱者の視点からすれば、社会保障として支給されるお金が減るだけでなく、税金も上がるということです。
こうして特に高齢者が社会的弱者として厳しい状況に追い込まれるのですが、日本の近未来においては、そうした高齢者が激増します。日本の高齢化率は、26.8%(2015年)、29.1%(2020年)、31.6%(2030年)、36.1%(2040年)といった具合です。そうなると、使えるお金のある人が減るため、国内における景気は、どうしても悪くなっていくでしょう。景気が悪化していくという予測自体もまた、さらに景気を悪化させていくという部分は、本当に悩ましいです。
景気が悪くなるだけでなく、税金も上がっていきますから、民間企業の経営もまた、かなり厳しくなっていきます。多くの個人は、こうした悪化していく環境に、徐々に敏感になっていきます。日本の将来(というより自分の将来)がかなり不安になれば、働ける個人は、民間企業に対して、より多くの賃金を求めるように変化していくでしょう。さらに今後の日本では労働力人口が減るので、こうした個人の交渉力は高まっていきます。すると、民間企業では倒産が相次ぐことになります。
民間企業に勤務する危険性が高まり、かつ、失業してしまった場合の社会保障の給付は減額されていきます。すると、公務員の安定性が異常なまでに際立ってくることになります。すでに起こっていることですが、若者が公務員を目指していくという流れも加速していきます。若者の多くが公務員を目指すようになれば、優秀な人材が民間企業に流れてこなくなります。そして民間企業の効率化やイノベーションの発生は遅れ、民間企業はますます厳しくなっていくでしょう。
それでもなお、優秀な人材の一部は、民間企業に就職していきます。ただし、そうした人材が目指すのは成長率が高い海外です。昔の日本で、地方から東京に若者が流れてきたのと同じように、国内から海外への人材の流れが強くなっていくのです。実際に、中高一貫の私立では、最も優秀な学生は東大ではなく、海外の大学を目指すようになってきています。そして、グローバル教育に熱心な私立に人気が集中しはじめています。
この予想図の全てを破壊することは、もはやできない状況です。というよりも、すでに起こり始めている未来であって、予想ではなく現実という面も多分にあります。ただし、このいくつかの部分に関しては、それほど悲観しなくてもよくなる可能性もあります。そのためには、どうしてもいくつかの大きな改革が必要になってきます。おそらく問題となるのは、次の3つの改革を進めることができるかどうかです。
まず、1つ目の改革は、一般会計だけでなく特別会計も含めて、国家の支出を見直すことです。結果として、公務員の数や待遇についても見直す必要も出てくるでしょう。もちろん、公務員も大切ですし、公務員がイノベーションにも関与することは疑えません。ただ、これからの日本を考えたとき、国家の支出についての見直しを避けて通ることはできません。夕張市の例を出すまでもなく、そこに聖域はありません。
次に2つ目の改革は、企業レベルではなくて、産業レベルでの全体最適化です。そもそも生産性の低い業界(賃金の安い業界)に多くの人材が配置されていること自体が国家の生産性に対してダメージになります。当然ですが、生産性の低い業界からは多くの税収は見込めません。生産性の高い業界、すなわち成長産業において、より多くの人材が雇用されることで、民間企業も個人も、ともに収入を高められます。この流れを通して、税収もまた成長していきます。
そして最後となる3つ目の改革は、高齢者が引退しない社会をつくることです。できれば、高齢者にも成長産業で働いてもらいたいところです。とはいえ、変化の激しい不安定な産業では厳しい場合、成長産業は若者に任せ、高齢者は生産性が低くても社会的に必要な産業に従事するという発想もありえます。年金が減らされたとしても、パートタイムであっても仕事のある高齢者が増えていくことで、国家全体の消費能力を高め、それもまた税収につなげていけるからです。
あらためて不思議に思われるのは、おそらく、先に3つの改革として示したとは、放置しておいても、長期的には必ず起こると考えられることです。まず、すでに公務員の一部は、自分たちの職場環境が抜本的に見直される未来を見通しており、成長産業への転職をはじめています。人材についても、社会不安が高まっているので、以前よりも自分自身が成長できるかどうかへの関心が高まってきています。そして高齢者福祉が限度を超えて悪化すれば、高齢者はもっと職を求めるようになるでしょう。
ここで、現代における日本の介護の問題の多くは、高齢者が、社会との接続を失ってしまうことから発生しています。その根本原因は、定年退職という制度にあります。仕事を通して社会から必要とされる状態が維持され、他者とのコミュニケーションが継続され、職場への行き来という身体を動かす外出があり、収入が得られる安心感からの消費が刺激されることは、高齢者にとって、介護予防になることは明白なのです。こうして介護予防が進めば、国家の税収が増え、支出も減らせます。
国家レベルでは、破滅的な未来は(戦争さえなければ)きっと自動的に回避されるようになっているのです。ただし、個人レベルでは別です。1990年代に医者が余っていると報道されましたが、結果として医者は足りなくなりました。2000年代に弁護士が足りないとなれば、弁護士が余りました。社会不安が高まっているから公務員というのも、似たような結果になるはずです。現代のような危機においては、予想される未来に対して短期的に動くと、かえって悪い結果になってしまう可能性があるのです。
個人レベルでは、自分自身への投資(職業選択もその1つ)をして、その投資効率を振り返っていくしかありません。つまるところ、個人が考えるべきなのは、自らの希少性のデザインです。個人レベルでは、社会的に足りていないのにニーズのある人材かどうかが問われるのであり、絶対的に優秀な人材かどうかでは決してありません。こうした危機においては、マジョリティーとは違った考え方をすること、すなわちマイノリティーであることが武器になる可能性が高いわけです。
そもそもマイノリティーが、長い生命の進化の中で遺伝子をつないできた理由を考えてみてください。それは、みんなとは違うということが、武器になる場面があるからこそでしょう。それが平時なはずはありません。だからこそ、平時にはマイノリティーは辛い思いをするのだし、マイノリティーがマジョリティーになることはないのです。しかし、現代のように、マジョリティーが危機にさらされる時代であればどうでしょう。そこにはきっと、チャンスもあるはずなのです。
※参考文献
・財務省, 『一般会計税収、歳出総額及び公債発行額の推移』
・Yahoo!ニュース, 『国の借金1078兆円=1人当たり851万円―6月末』, 2017年8月10日
・財務省, 『今後、社会保障の費用は、どうなっていく?』
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