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一般には、自立という言葉は「誰からの援助を受けなくても、自分の日常生活を切り盛りできること」といった意味で使われているでしょう。しかし、よく考えてみると、無人島で生きているわけではない私たちは、誰からの援助を受けなくても生きていけるということはありえません。
熊谷晋一郎准教授(東京大学先端科学技術研究センター)は、手足が不自由となる脳性麻痺をもちながら東京大学に進学し、小児科医になった人です。障害と社会の関係について研究するかたわら、今も医師として活動をしています。その熊谷准教授は、自立について、全国大学生活協同組合連合会ホームページにて、以下のように述べています。
「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。
この考え方は、障害を持っている人のみならず、多くの人にとって人生の指針となるものではないでしょうか。誰にも依存せず、強くあろうとすれば、どこまでも苦しいだけです。しかし、幸福に生きるために必要なことは、誰にも依存しないことではなくて、依存できる先が多数あるということだとすれば、違った生き方が可能になります。
私たちは、子供のころは、衣食住のほとんどを、親(または親代わりの人)に完全に依存しています。これを自立と呼ぶ人はいないでしょう。しかし、社会人となり、自分で自分の生活が切り盛りできるようになったとき、私たちは自立したと感じます。
しかしそれでも、1つの会社に依存していると、不安な気持ちにもなります。もし、その会社が潰れてしまったらどうなるのだろう、と。そこで私たちは、もしものことがあっても生きられるように、貯金をしたり、社外でも通用するスキルを身につけるでしょう。そうした行動は、依存先を1つの会社にしないための自立の手段になるのです。
そう考えたとき、自立した大人になるということは、親元を離れることではないような気がしてきます。親以外にも依存できる先を見つけ、それを増やしていくことが自立だとした場合、親もまた、ひとつの依存先として残されているからです。実際に、いざというときに、最後まで自分の味方でいてくれる親という存在は、ありがたいものです。
はじめの依存先は、親だけです。しかし、精神的に依存できる親友ができると、すこし親から自立します。社会人になって得られる、会社の同僚もまた、依存先かもしれません。そうしてスキルや人脈を築いていくと、依存先が増え、より自立が進んでいくでしょう。
しかし、高齢者になり、定年退職をすると、社会との接続が弱くなり、依存先も減ってしいまいます。金銭的な意味では、年金だけが依存先になってしまうと、不安が増していくでしょう。さらに、要介護者になってしまうと、特定の介護職がいなければ日常生活も危なくなります。
そうした状況においては、意識して複数の介護職と付き合い、趣味の仲間などを作って精神的な依存先も育てていく必要が出てくるはずです。可能であれば、お小遣い程度にしかならなくても、なにか仕事をしたいところです。そうすることで、依存先の数を維持することができるからです。
そもそも介護とは、自立を支援することです。それはすなわち、要介護者が、特定の対象にだけ精神的・肉体的・金銭的に依存してしまう状況を改善するために、新たな依存先を開拓していくことなのかもしれません。この、熊谷准教授の考え方によって、救われる人も多いのではないかと思います。
※参考文献
・熊谷 晋一郎, 『大学生協のたすけあい保障制度』, 全国大学生活協同組合連合会ホームページ
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