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現在のところ、日本における高齢者は「65歳以上の人」と定義されています。これは(今のところ)国際的にも同意されている定義です(国際連合が1956年の報告書にて言及)。しかし、今の65歳を見ていると、どうにも高齢者というには若いと感じます。
しかし注意したいのは、この高齢者の定義には(1)統計を取得し活用する意味(2)行政サービスの対象範囲を規定する意味(3)義務と権利を規定する意味(4)社会的な認知としての意味(5)学問的な意味、といった様々な意味があるということです。
「65歳は高齢者じゃない」という意見は、あくまでも(4)の部分に関するものにすぎません。この(4)の意味だけで定義を変えてしまえば、他の意味が破綻してしまうという可能性もあります。そうした意味で「何歳からが高齢者なのか」という問いには、多角的な視点で答えないとならないのです。
(5)の学問的な意味、特に老年学という視点からすれば、現代の75歳は、心身の機能で言えば、20年前の65歳に相当するそうです(甲斐, 2015年)。実質的に、10年程度は若返ったということです。
(4)に関する意識調査でも、高齢者のイメージは70歳以上という回答が多いようです(甲斐, 2015年)。これは、最近の意識調査になればなるほど、上がる傾向も指摘されています。社会的にも、今の65歳は、社会に支えられなくても生きていける存在という認識が一般的なようです。
老年学という視点、また、社会的な認知という視点からは、65歳を高齢者とするのは、無理が出てきているというのは事実です。そもそも、この定義がなされたのが、1956年にまでさかのぼれることを考えると、見直しが必要というのは理解できます。
さて、学問や社会的な認知としては、65歳は高齢者というには若いということになりそうです。しかし(2)行政サービスの視点や(3)権利と義務の視点としてはどうでしょうか。すぐに思いつくのは、高齢者の定義を70歳とすれば、これまで65歳以上が受けられてきた様々な行政サービス上のメリットが得られなくなることです。
「まだ若いのだから、そんなものはいらない」という意見もあるかもしれません。しかし、ここはお金がからむ問題です。仕事のある65歳と、定年退職をした65歳では、意味もかなり異なります。これについて、日経新聞の記事(2016年12月20日)の記事から、一部引用してみます。
内閣府は技術革新などがなされない場合、2030年には生産年齢人口が1%減少し、日本で低成長が定常化するとした分析をまとめた。高齢者の定義を70歳以上に引き上げることも提案。定年延長や、医療や介護サービスで、高所得の高齢者の負担を増やすといった施策を想定する。構造改革の基本的考え方として、政府の経済政策に反映させる。
内閣府が報告書をまとめ、近く開く経済財政諮問会議で公表する。30年にかけて20~30代が約2割減ることで働き手が不足し、成長の制約となる懸念を示した。働く人を増やし、日本全体で現在と同じ6割の人が就労する仕組みを構築する。
自立した生活を続けられる健康寿命に注目し、高齢者を「70歳以上」として経済的・社会的な定義を見直すことを提案する。定年延長により高齢者の社会参加を促し、所得に応じた年金負担の仕組みなどを検討する。
結局、政府が言いたいのは、年金の支給年齢を上げるということのように読めます。確かに、社会福祉の財源が枯渇しつつある今、仕方のないことかもしれません。しかしここは、まず、定年延長(65〜69歳の人に仕事があること)が前提の条件になるでしょう。
また「高所得の高齢者」がターゲットになっているようですが、ここは「財産のある納税者一般」とすべきところです。高齢者だけをターゲットにするのは、おかしな話だからです。また、所得(フロー)だけでなく、財産(ストック)をみないと判断を間違います。
人工知能が仕事を奪い始めている現代にあって、本当に、今後も65歳以上の人に仕事があるのでしょうか。もちろん、これまでの仕事で、定年が延長されるようなケースはいいと思います。しかし、経営という視点からは、どうしても疑問があります。
年齢差別をするつもりはありません。65歳以上であっても、現役世代以上に仕事ができる人も多数いるでしょう。しかし、特に教育投資という視点からすれば、より長い期間を現役でいられる若い世代に投資したほうが、投資効率は良い可能性が高いのです。
あくまでも一般論ですが、若い世代のほうが、新しい技術への適応力も高いと考えられます。営利を目的とした企業経営は、慈善事業ではありません。厳しい市場で勝たないと生き残れない世界では、どうしても、65歳以上の人材の大多数は不利になると考えられます。
現実には、定年はそれほど延長されない可能性が高いように思います。一旦、定年してもらった上で、非正規雇用なら、ありえるかもしれません。しかし、そうして失われた労働力は、おそらく、人工知能が埋めていくのではないでしょうか。
高齢者の定義という話で、これをごまかしてしまえば、単なる弱者の切り捨てになってしまうのです。そもそも、人工知能の台頭による失業問題は、高齢者の定義とは異なる問題です。人工知能によって奪われる雇用は、年齢とは関係なく発生すると考えられるからです。
ですから、高齢者の定義と合わせて、将来の失業問題についての議論をはじめないと、間に合わなくなります。二極化が進む状態にストップをかけ、富の再分配としてのベーシックインカムの導入を検討すべきです。
実際に、こうした大きな変革を起こすには、準備段階から10年単位の時間がかかるはずです。今から、この議論を開始しても、2025年には間に合いません。住む場所もない失業者が街にあふれる未来は、見えてしまっています。それでもせめて、今から、議論だけは進めておくべきだと思います。
※参考文献
・甲斐 一郎, 『高齢の定義と高齢者の健康』, 日本健康医学会雑誌, 24(2), 85-86, 2015年7月31日
・近藤 勉, 『高齢者の心理』, ナカニシヤ出版(2010年)
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