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小さなものが倒れるとき、その近くにいる人は、それに気がつきやすい立場にあるでしょう。しかし、本当に大きいものが倒れようとするときは、近くにいる人のほうが、その危機に気がつきにくいものです。大きいものの変化は、ゆっくりすぎて、むしろ、遠くからそれをながめている人のほうが認識しやすかったりします。タイタニック号のようなものです。
日本の社会福祉が、まさにそれに相当します。政治家、官僚や社会福祉に関わっている人々には、かえって見えにくいのかもしれません。しかし、日本の社会福祉という大きなものの倒壊は、もはや引き返せない限界点(point of no return)を超えてしまったようです。だからといって絶望する必要はありません。ただ、私たちは、それに備えておく必要があるということです。
以下、倒壊する日本の社会福祉について、その全体像を考えてみます。これらの課題の根本にあるのは、要するに、社会福祉に回すことができるお金が、もはや国にはないということです。社会福祉のための増税も、それをしたら経済が悪化して、かえって税収が減ってしまうというところまできています。
医師の3割が、過労死ラインを超えて仕事を強いられています。若い看護師の過労死も報告されており、看護師の女性は、一般の女性労働者と比較しても、およそ2倍の切迫流産率となってしまっています。しかし国としても、もはやお金がないので、医師や看護師の数を増やすという方向には進めません。このしわ寄せが医療関係者のところに来ています。企業に対する長時間労働規制も大切ですが、医療関係者に対するそれも重要です。しかし、ここはほとんど「見て見ぬフリ」がなされています。
KAIGO LAB でも何度もとりあげているとおり、介護業界も、医療業界よりもひどい状態が続いています。全産業平均よりも、年収ベースで100万円以上安い待遇で、夜勤までこなしても、毎月の手取りが20万円を切るような生活を強いられています。待遇が悪いため、人材不足が続いています。根本的な原因は、この待遇にあるにもかかわらず、待遇以外の面での改善ばかりが議論されています。国としても、この状況が良いとは考えておらず、介護職の待遇改善が議題には登るものの、財源がないという理由から、むなしい結果になっています。
日本で子育てをするのは、他国よりも大変な状況にあります。国が、教育のために使っている予算は、子供1人あたりで換算すると、OECD諸国の中でも最低です。託児所も足りていません。子供を託児所に預けていると、仕事で稼いだお金が、まるまる託児所に行ってしまうような生活をしている親も少なくありません。大学の学費も年々上がっています。逆に、大学に交付される国のお金は減っています。富裕層だけが、子育てにかかる莫大な費用を負担することができる状況になりつつあります。
先の問題は、すべて、国の財源の問題に帰着させることができます。社会福祉は、高い付加価値を生み出す現役世代がいて、そこから一定の税金を取ることでしか成立しません。少子高齢化によって、現役世代の数が減り、社会福祉を必要とする人々が相対的に多くなってしまえば、財源が足りなくなるのは当たり前のことなのです。
つまり、諸悪の根元になっているのは、子供を生み育てやすい社会の構築に失敗したことです。多くの子供が生まれ、その子供たちに高いレベルの教育を受けさせ、高い付加価値を生み出せる現役世代の層を厚くしていくことが、そもそも国家の仕事のはずでした。しかし、日本はそれに失敗し、ここから、その失敗を取り返すことはできないところに来てしまったのです。
今から子供を増やせばいいという意見は、残念ですが、間違っています。それは、人口ボリュームの大きい団塊ジュニア世代(1971〜1974年生まれの世代)が、出産適齢期を大幅に超え、統計的には子供を産める年齢をも超えてしまっているからです。この瞬間から、手厚い子育て支援を行ったとしても、出産適齢期にある若者の数自体が減っているのですから、効果が期待できないのも当然です。
2030年代後半、団塊ジュニア世代が高齢者になり、様々な社会福祉が必要になったとき、大きなものが倒壊したという実感も広がるはずです。このころには、高齢者と子供を足し合わせた人口が、現役世代の人口に匹敵するようになります。そして、その状況は年々厳しさを増していくのです。自分1人の生活でも精一杯なのに、税金は高く、もらえる年金なども減っているのです。
このとき、国に文句を言っても仕方がありません。日本は、民主主義国家です。ですから、そういう未来を作ったのは、私たち一人一人ということになります。暗い気分になるのは、こうしたことが見えていても、今からでは、打てる手立てもないということです。子供は国の宝なのですが、その宝に投資してこれなかった日本の失敗です。
この失敗をバネとして、私たちは、日本の社会を変えていかないとなりません。その手立ては、医療や介護、子育てといった社会福祉について、国民の多くが、単なる受益者であることをやめるということです。提供者と受給者という対立関係を卒業し、誰もが、社会福祉に関わる社会を築ければ、少ない財源であっても、より多くの社会福祉が提供される社会が生まれます。
具体的には、大きなものの倒壊を、押しとどめようと孤軍奮闘している社会福祉関係者のことを助けるということです。過労死ラインを超えて仕事をしている医師や看護師から少しでも仕事をはがしてあげること、介護を介護職に任せきりにするのではなくて自分もボランティアとして参加すること、子育て環境の改善のための活動に参加すること、いろいろあると思います。
社会福祉のサービスレベルに文句をいうのをやめて、自らもその担い手として参加していくことでしか、この失敗を乗り切ることはできません。長時間労働の解消も、ボランティアとして様々な社会福祉に関わっていける人を増やすことにつながらなければ、単に、多くの現役世代の収入を下げる方向に働いてしまいます。
国に財源がなくても、私たちには、お互いを気にかけ、助け合うことができます。余っているリソースを、困っている誰かのために使うこともできます。優しい社会をつくることが、日本の社会福祉の倒壊を超えるための背骨になってきます。これに成功すれば、日本は、他国に類をみないほどにレベルの高い社会福祉を、最低のコストで実現することになります。
数が減ってしまったとはいえ、子供こそ、国の宝であることは同じです。その子供たちのためにお金が使えない状態にあるならば、せめて、優しい社会の構築による、高度な社会福祉を準備したいところです。それが、先祖から受け継いできた日本という国家に対する、私たちにできる恩返しにもなるでしょう。
私たちの先祖は、これよりももっと大きな危機を乗り越えてきたのです。そして、私たちは、その遺伝子を受け継いでいます。評論家的な絶望は終わりにして、なんらかの活動に参加していくことが、今こそ求められているときはないと思います。大変な時代ですが、みなで、がんばりましょう。
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