KAIGOLABの最新情報をお届けします。
集団の中に所属すると、無意識のうちに、物事の判断基準が、その集団の基準に引っ張られていきます。たとえば、中学校に入学すると、どんな部活に入るのか、多くの場合は友達に影響を受けます。得意とか苦手とかは関係なく、とりあえずみんなが入るから自分も入るという感じです。
どんなファッションをするのかも同じです。これは友達というよりも、芸能人や人気モデルなどの影響が大きいかもしれません。自分が好きかどうかは別として、学校外や職場外で集まれば、みんな同じような恰好をしています。
何に、どの程度の努力をはらうべきかについても、所属している集団の影響を受けます。試験勉強を思い出してみてください。人間は意志の弱い生き物なので、出来るだけ楽な方に流れがちです。
自分一人であれば、少しでも先延ばしにしようとするでしょう。しかし、勉強も一生懸命頑張る集団にいれば、自然と取り組むようになります。みんなが頑張る集団にいれば、自分も頑張れるのです。もちろん、逆もまたしかりです。
このように、私たちは多かれ少なかれ、集団の中で形成される「こういう風に考えないといけない」という枠に影響を受けます。こういった判断の際に、手がかりとなる基準を特に「準拠枠(じゅんきょわく)」と呼びます。簡単に言えば、個人の判断に影響を与える「空気」が存在するということです。
良いものも、悪いものありますが「準拠枠」は一度固まると、そう簡単には変わりません。もちろん新たな集団に関わった時に、今までの「準拠枠」と比較し、それが更新されることはあるでしょう。しかし、長い間、同じ集団の中にいると、その枠は固定化され、なかなか基準が変わらないのです。
介護職を取り巻く労働環境は、依然として改善されていません。介護には昼夜はないので、職場によっては、2交代制の夜勤もあったりします。それにも関わらず、統計によれば、全産業の平均よりも、年収ベースで100万円以上安いのが介護職の現状です(手取りで20万円を切る程度)。
1987年に介護福祉士が国家資格化されました。また2000年4月に、介護保険制度が導入されるなど、介護職の待遇を改善していこうとする動きは見られます。国家資格化されることにより、安定した質のサービスの提供が可能になり、社会的にも、待遇の改善を正当化できるからです。
しかしながら、介護福祉士を目指すうえでのハードルは高くなるので、ただでさえ足りていない介護職がさらに減ってしまう懸念もあります。また国家資格化など、待遇を改善するための準備が進められているにも関わらず、現実としては、一向に介護職の待遇が良くなっている感じはしません。
高齢化がどんどん進む中、より一層、介護職の確保が必要になります。しかし、この現状では、介護職になりたいと思う人が増えるはずもありません。学生の人気就職先としては、公務員がトップという状況が続いていたりもします。
では、どうして一向に介護職の待遇はよくならないのでしょうか。特に、病院内で働く介護職の待遇は、他の医療スタッフに比べて非常に低いと言われています。ここには、現在、病院において介護職が専門的に行っている業務が、もともとは「付添(つきそい)」という形で行われてきたことが関係しているとの指摘があります。
従来、高齢者の介護については「高齢者の社会的入院」という言葉にも表されるように、病院内で行われるケースが大半を占めていました。この時、特定の患者に常時付き添って、身の回りの世話をする人を「付添」と呼びました。
「付添看護」という制度は、医療保険制度に基づいて、看護の基準を満たさない病院などにおいて、患者が雇用する「付添」に対して、付添看護療養費が支払われる仕組みです。そして、医療制度においては「介護」にあたる部分は、看護の仕事の一部として扱われてきました。
しかし看護職は、医師の診療補助に大半の時間を割き、患者の療養の世話には手が回らないのが現実でした。その結果、実際には、その仕事の多くが「付添」によって支えられてきたのです。
看護の無資格者である「付添」に、病院内の看護を頼る「付添制度」の存在は、日本の医療・看護体制にとっては、恥ずかしいこととされてきたそうです。それは「付添」の仕事が、医療機関の外部の人間、つまり「無資格者による」看護行為であるとされていたからです。
しかしながら1970年代には、この付添制度がどんどん拡大されていきます。結果的に、病院の「寝たきりの老人」の患者には「付添」がついて身の回りの世話をするという仕組みが、定着することになります。
1980年代になると、高齢者の医療費の増大が問題になります。費用の抑制を考えたとき、やはりこの付添療養看護費も問題になり、1994年の健康保険法改正により、段階的な廃止が決定されます。
これはつまり、医療現場における「介護労働」を、看護の仕事から切り離して考えるようになったということです。こうして「付添」の仕事は、介護職による「介護行為」として再編されていきます。
もともと医療・看護の領域において、患者の直接的な世話は、建前上は看護の有資格者が行うものとされてきました。よって、その行為に対する経済的な評価(報酬)もそこまで低いものではありませんでした。
しかし、寝たきりの老人に対する世話は「付添」に移譲され、その「付添」の経済的評価は、一般の患者に対する世話の評価に対して、7割前後の低水準にとどめられたのです。そして、その価格は、病院の「付添」の仕事が、介護職による「介護労働」として切り離されてからも、正式な価格として残ってしまいました。
介護職の仕事が、専門的な知識を必要とし、相当な訓練を要するものあるにも関わらず、いまだに過去の「付添」に対する「非専門職」「無資格者」といった評価が根強く影響しているということです。
つまり「付添」の属性としての「非専門性」「無資格」「低い社会的経済的地位」が、病院内の介護職を編成し、評価するうえでの「準拠枠」となっているということです。この「準拠枠」のせいで、なかなか報酬は上がらず、介護職は、看護職と比べても低い位置づけになっている可能性があります。
冒頭にも述べたように、こうした「準拠枠」は一度決まるとなかなか外れていきません。その環境のなかにいれば「介護職自身も」それを受け入れてしまいます。私たち自身もまた、介護職の待遇改善を訴えながらも「介護職の評価とはこういうものだから仕方ない」という「準拠枠」に支配されているのかもしれません。
この状況を変えていくためには、介護職の国家資格化を超えて、公務員化を検討するなどの抜本的な改革が必要です。圧倒的にイメージの変わる取り組みが必要でしょう。
また、介護職という仕事が、高いコミュニケーション能力を必要とし、専門的で高度な知識、技術を必要とすることを、多くの人が認知する機会も必要です。その点においては、義務教育期間における、介護教育の導入も議論されるべきでしょう。
介護職が圧倒的に足りなくなる2025年問題はすぐこまで近づいてきています。介護職の待遇を改善するために、私たちが長い間もってきた「介護」に対するイメージを払拭していくことが、どうしても必要なのです。
※参考文献
・森川 美絵, 『医療の中の介護労働 “寝たきり老人”対策としての「付添」の制度化と問題化を手掛かりに』, 福祉社会学研究Ⅰ 209-228
・加藤 定夫, 『幼児にとっての準拠枠の形成過程』, 文教大学保育論叢 第12号, 11-24, 1977
KAIGOLABの最新情報をお届けします。