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介護ボランティアの功罪(ニュースを考える)

介護ボランティアの功罪

住民ボランティアによる介護支援がクローズアップされている

介護のための国の財源が枯渇しつつあることは、KAIGO LABでも、これまで何度も報告してきました。この財源の問題から、本来は必要な介護サービスが提供されていないケースも多数あります。

介護支援ニーズはあっても、そこに介護サービスがないということが起こっているわけですから、そこにはボランティア(NPO)が発生することになります。ボランティアの存在はありがたく、これからの社会設計において、絶対に必要なものです。

しかし、同時に、ボランティアというのは、大きな問題もはらんでいることは、知っておくべきだと思うのです。以下、朝日新聞デジタルの記事(2016年8月1日)より、一部引用をします。

大阪府茨木市にある高齢者の交流施設「街かどデイハウス 山手台ななつ星」。高齢の利用者24人がパッチワークなどに興じるかたわら、ボランティア6人が調理や片付けに忙しい。

この施設の運営を担うのは地区の「福祉委員会」。民生委員や自治会から選ばれた60代後半の住民が中心だ。今は介護予防に活用されているこのデイハウスは今後、市の要支援向け施設となる。市は「住民が支え合う理想的な形となるだろう」と歓迎する。

ただ、ボランティアの対価は1時間300円。利用料(1回300円)収入や、市から年間約300万円の補助金があるが、「利用者のために使うことが第一」と、対価を抑えた。「お金は問題じゃない」と話すボランティアもいる。

地獄への道は、善意で舗装(ほそう)されている?

ボランティアがあるところでは、民間企業はビジネスができません。たとえば、この朝日新聞デジタルの記事で紹介されているような、時給300円で介護サービスが提供されているところでは、普通の価格でサービスを提供しても、誰も購入しないでしょう。

仮に、購入してくれたとしても、価格が高いと言われるのはあたりまえで、利益が出るような価格を維持することはできません。利益が出なければ、雇用も生まれません。雇用が生めたとしても、給与は当然、安くなるでしょう。

ボランティアが永遠にそこにいてくれれば、それでも良いのかもしれません。しかし、ボランティアというのは、はじめるのも、辞めるのも自由度が高いため、企業が提供するようなサービスの安定感を出すのは困難です。

「地獄への道は、善意で舗装(ほそう)されている」という言葉があります。たとえ善意であったとしても、それによって、かえって全体としては悪い結果が生まれてしまうこともあるという意味の言葉です。

ボランティアも、よかれと思って、無自覚にその領域を増やせば、結果として、かえって悲惨な未来を作ってしまうこともあるのです。民業を圧迫しないことは、ボランティアが考えておくべき、非常に大事なことになります。

支払い能力がある要介護者にはきちんと払ってもらう

一番よくないのは、支払い能力があるのに、ボランティアに頼る要介護者が出てきてしまうことです。本来、ボランティアというのは、支払い能力のない人(または人間以外)のために、無償かそれに近い価格でのサービスを提供することで、大きな価値を生み出すものです。

ボランティアによるサービスが受けられる人とそうでない人の間で、明確な線引きをする必要があります。そうしないと、すでに厳しい状況にある介護事業者は、今後ますます倒産・廃業ということになってしまいます。

しかし、そもそも支払い能力のある高齢者自体が減っています。ですから今後も、ボランティアが求められる状況は増えていくのです。ここに大きな期待がかけられているからこそ、この問題は恐ろしいのです。

※参考文献
・朝日新聞デジタル, 『住民ボランティアが担う介護、可能なのか?』, 2016年8月1日

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