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脳内には3つのモジュール(機能的に分けられた部分)がある。その中で、対生物専用モジュールを鍛えてみることについて。

対生物専用モジュール

私たちの脳は「狩猟採集生活」に最適化されたままの状態

人間は、その歴史のほとんどの時間を、狩りをしたり、木の実を集めたりすることで生活の基盤を作っていくという「狩猟採集生活」によって過ごしてきました。近代的な生活をしている時間は、そうした歴史の1%にもなりません。ですから、近代的な生活というのは、全体の人間の歴史からすれば、まだ例外とも言えるものです。

まず、身体が「狩猟採集生活」に最適化されたまま、というのは有名です。それが原因で起こるのが糖尿病であるという話は、誰もが聞いたことがあるでしょう。歴史的にはずっと飢えてきた人間は、食べられるときに、できるだけ多くのエネルギーを蓄えるようにできています。それが、近代になって毎日食べられるようになると、エネルギーを取りすぎてしまうというのが、糖尿病の原因とされています。

同様に、身体だけでなく脳もまた、近代的な生活ではなく、むしろ「狩猟採集生活」に最適化されたままなのです。森林や河川での時間がストレス解消の「癒し」になるのも、こうした背景があってのことです。近代的な生活は、私たちの心身に対して、想像以上のストレスを与えている可能性がある、というのも当然でしょう。

人間の脳内は3つのモジュール(機能的に分けられた部分)がある

人間の脳に関する研究は、日進月歩で進んでいます。そうした研究から見えてきたことの1つに、脳内のモジュール(機能的に分けられた部分)に関するものがあります。私たちの脳内には「狩猟採集生活」に最適化されている、少なくても3つの専門的な機能が与えられた部分があるというのです。

それらは(1)対生物専用モジュール(2)対物理専用モジュール(3)対人間専用モジュール、の3つです。これだけでも、なんとなく意味がわかると思いますが、以下、もうすこし詳しくみていきます。

1. 対生物専用モジュール

動物や植物に関する理解をつかさどるモジュールです。「狩猟採集生活」において、狩りをするにせよ、木の実を採集するにせよ、それらへの理解が乏しいと、生存を維持できなくなります。逆に私たちは、動物や植物のことを理解するのが得意だった(自然淘汰されなかった)先祖の子孫ということです。動物においては、危険な動物の習性、食べられる動物の習性、動物の間での食う・食われるの関係(特定の動物をおびき寄せるエサ)などに関する知識が重要でした。植物についても、毒や薬になる植物、食べられる植物、それらの植物における季節変動の影響などに関する知識が重要でした。私たちの脳は、こうした生物に関することに興味を持ち、知識をためこむようにできています。

2. 対物理専用モジュール

物体の特徴、空間的な配置、時間的な変化などに関する理解をつかさどるモジュールです。石を投げたら、どのように飛んでいくかといったことは、狩りの上手い・下手を決める重要な要素です。木の実を求めて木に登るとき、足場としてよい枝と、そうでない枝の区別は、まさに死活問題だったはずです。また、地図などない時代がずっと続いていたので、山や森、湖や川の配置から、自分の現在地を把握する能力も、人間の生存を決めてきました。私たちは、狩りや木の実をとることが上手く、空間把握能力の高かった(自然淘汰されなかった)先祖の子孫です。ですから私たちの脳もまた、このような物理的なことに関する興味を持ち、知識をためこむようにできているのです。

3. 対人間専用モジュール

特に、人間の感情の理解をつかさどるモジュールです。「狩猟採集生活」において、私たちの先祖は、150人かそれ以下の小さなグループをつくり、自然の中で暮らしていました。人間は、他の動物に比べると、ずっと体力的に劣る動物です。ですから、一人で自然の中に放り出されると、猛獣に狙われて、あっけなく命を落としてしまう運命にあります。ですから、同じグループに所属する人間とうまくやっていけないということは、そのまま死を意味していたのです。私たちは、そうした環境を生き残った(自然淘汰されなかった)先祖の子孫です。私たちの脳は、他者の感情を読み取り、それに上手に対応するようにできているのです。

脳内のモジュールが満足に機能していないと不安になる

これら3つの脳内のモジュールが、それぞれが満足に機能しなかった先祖は、すべて命を落として死んでしまっているはずです。ですから、そうした自然淘汰を生き残った先祖の子孫である私たちは、こうしたモジュールがきちんと成長・発達しないと、不安になるようにできていると考えられます。

動物園や水族館が流行るのは、対生物専用モジュールが満たされるからだと思われます。いつまでも、ピタゴラスイッチを見てしまうのも、対物理専用モジュールを刺激するからでしょう。心理学や占いに対する興味関心がつきないのは、対人間専用モジュールがあるからだと思われます。

テレビ番組の鉄板としても、動物系、スポーツ系、人間ドラマというのは、世界的に見ても鉄板です。これらに関する知識を増やし、理解していくことが生存につながってきたのですから、当然です。生物の根源には、生存と生殖の本能があり、こうした物事の理解は、この本能に直結していたからです。

最近では、自閉症やアスペルガー症候群といったケースは、対人間専用モジュールの不調にあるという考えもあるようです。対人間専用モジュールに不調がある代わりとして、対生物専用モジュールや、対物理専用モジュールが天才的に発達するといった具合です。

現代人の生活の中で欠損しがちな脳内のモジュールへの刺激とは?

これは個人差も大きいので、割り引いて考えていただきたいのですが、現代人の生活には、対生物専用モジュールへの刺激が少ないように感じます。これが、現代人を漠然とした不安にさせる原因の一つではないかと考えているのです。

動物園や水族館は、子供がいなかったり、子供が大きくなってしまっている親は、足を運ばないでしょう。カブトムシを捕まえたりすることは、大人になると、あまり行わなくなります。釣りは、とてもよい対生物専用モジュールへの刺激だと思われますが、それを趣味としない人には、関係のない話に思えるはずです。

これに対して、スポーツを見たり、ちょっとした運動をしたり、車の運転をしたりすることは、現代人であっても不足なく得られる経験でしょう。対人関係に悩みこそすれ、それが全くないという状態は、むしろ珍しいはずです。

対物理専用モジュールや、対人間専用モジュールは、現代人であっても必須のモジュールなので、それへの刺激もまた十分だと考えられます。しかし、現代人の生活は、人間以外の生きている生物との触れ合いは「狩猟採集生活」と比較すれば、極端に減っています。

高齢者との関わりでも、対生物専用モジュールの発達を意識してみる

特に都会における現代人の生活と、人間以外の生きている生物との関わりは、かなり減っています。しかし意識して探せば、アリなどの昆虫、カラスなどの鳥類、ペットになっている犬や猫、街路樹となっている植物は、都会でも観察することができるでしょう。

実際に、元気のよい高齢者は、ペットの世話をしていたり、植物を育てていたりするように感じます。一部ではありますが、植物を育てるプロセスが、高齢者の心理によい影響を与える(園芸療法)こともわかっています。

対生物専用モジュールを意識して、久しぶりに動物園に行ってみるとか、動物番組を見てみるとか、野生の生物を探しながらのハイキングに行くとか、植物を育ててみるとか、そんな活動がきっかけで、変わるなにかもあると思うのです。

自分の親が元気を失っているとき、その一つの対応として、対生物専用モジュールの刺激についても検討してみてもよいのではないでしょうか。

※参考文献
・小林 朋道, 『ヒトの脳にはクセがある 動物行動学的人間論』, 新潮社(2015年)
・乗松 貞子, 『植物を育てるプロセスにおける高齢者の心理状態の脳波およびSD法による解析:若年者との比較も含めて』, 植物環境工学 18(2), 97-104, 2006-06-01

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