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介護の場面に限らず、毎日の家族生活にはトラブルが絶えません。そう簡単には解決できないような問題が起きたとき、我々はどのような手順で対策を考えるでしょうか。
まず、問題の原因が何なのかを考えるでしょう。そして、次にその原因を作っているのが家族の中の誰なのかを考えると思います。その人を責めたり、あるいはその人を変えようとしたりすることで、問題を解決しようとすることもあるでしょう。
たとえば、子供の部屋が全く片づいていないとします。部屋が片づかないのは、普通に考えれば、子供が部屋を散らかしっぱなしにするからです。子供は使ったおもちゃを片づけず、次から次に新しいおもちゃを出してきます。見かねて親が片づけても、子供は散らかし続けます。
最初は、子供だから仕方がないと思って片づけていた親も、あまりにもこれが続くと、耐えられなくなってきます。問題は部屋が片付かないことであったはずです。しかし、いつしか問題の対象は、片づけをしない子供になっていくのが普通です。
実は、このように、問題の原因が個人の内面にあると考えると、問題はなかなか解決しなくなります。最悪は、部屋が片づかないといったレベルの話が、夫婦仲や家族を引き裂くような事態にも発展しかねません。
さすがに、この部屋の片づけの話は極端かもしれません。ですが、例えばそれが子供の引きこもりだとか、他者を意図的に傷つけてしまうといった大きな問題の場合は、問題はより深刻にもなりえるでしょう。
起こってしまった問題の原因を考えるとき、それを「言葉」「語り」「物語」という視点からとらえなおすことをナラティヴ・アプローチ(narrative approach)と言います。簡単にいうと、問題が起きたときに、その問題の原因を、その対象となる人の内面の問題としてではなく、人から切り離して考えるための方法です。
ナラティヴ・アプローチの登場以前は、家族の中になんらかの問題が発生した場合は「家族療法」という手法が主流となっていました。この療法は、病気の原因を「社会システムとしての家族」に求めるものであり、治療者が専門的知識と経験に基づき、家族を診断し、家族への介入を行うものでした。
これに対して、1980年以降に登場したナラティヴ・アプローチは、問題の原因を家族の構成員に求めないことが特徴です。セラピストは、家族とともに、今起きている問題(病気)の「物語を書き換える」作業に参加するのです。
家族(クライエント)の苦痛は、そもそも今、支配的になっている物語(ドミナントストーリー)のせいで起きているものだと考えます。それを書き換えることで、問題を解決しようとするのです。
ひとつ有名な事例を紹介します。ニックという6歳の少年と、その家族の話しです。ニックはある時「遺糞症」と診断されました。これは、いたるところに、自らの排せつ物を置いてしまうという特殊な病気です。ある時は、ニックのウンチで壁に線が描かれます。ある時は、タンスの引き出しの中にウンチが入れられています。
この病気の症状を改善するため、複数のセラピストが治療を試みました。しかし、そのすべては失敗に終わっています。彼の両親は、この「いたるところにニックのウンチが置かれてしまう」という問題に振り回され続けます。
多くのセラピストが治療に失敗する中、ニックは、セラピストのホワイトに出会いました。ホワイトはまず、問題の原因を探すことをやめます。どのセラピストも原因探しに失敗して、前に進めなかったからです。
まずホワイトらが行ったのは「ニックのウンチがいたるところに置かれてしまう」という問題に『スニーキープー』という名前を付けることでした。これは、日本語で言えば『ずるがしこいプー』という意味です。
こうすることで、問題はニックから引き離されました。問題が、人間や人間関係の外に置かれ、家族から分離した存在になります。つまり、問題自体が家族の人生や生活から切り離され、名前が与えられたのです。この作業は「問題の外在化」と呼ばれます。
問題に苦悩する人々は、問題の内側にいて、苦しんでいます。苦しいので、問題と自らの人生を切り分けるための心理的な余裕が奪われてしまっています。このために「問題の外在化」ができずにいることが多いのです。
この事例では『スニーキープー』という存在を生み出すことで、この「問題の外在化」が進んだのです。
「プーのせいで」ニックには友人がいません。「プーのせいで」母親は自分に親としての能力がないと悩んでしまいました。「プーのせいで」父親は同僚や友人から距離を置くようになりました。そして「プーのせいで」夫婦の関係も険悪なものになってしまいました。
「プーのせいで」ニックたちが受けてきた悪い影響を明確にしていくと、実は「プーの思い通り」にいかなかった「プーの失敗」も見えてきます。彼らはこれを「ユニークな結果」と呼びました。
母親は「プーのせいで」みじめな思いになった時、ステレオをつけたことがありました。こうすると、良い親になるための能力について考えなくて済んだのです。父親は「プーの思い通り」にならないように、みじめな秘密を隠すのではなくて、その苦労を同僚に打ち明けたいと思うことがありました。
この「ユニークな結果」は、問題の中に取り込まれているときは、見過ごされてきたものばかりでした。しかし、こうしたことを丁寧に拾い上げていくことにより、本当は「プーのせいで」夫婦関係が破綻したわけでないことがわかりました。またニックも、いつも「プーの思い通り」になっていたわけでないことに気付くのです。
『スニーキープー』を設定することで、これまで家族の人生を支配してきた古い物語が揺さぶられ、その見直しが始まります。そして家族は、新しくできた、家族で暮らしていくためにより好ましい物語に沿って生きていくことが可能になっていくのです。ドミナントストーリーが書き換えられたのです。
ニックはその後、失敗もしながら「もうスニーキープーの罠には乗らないぞ」と語ったそうです。こうしてニックは、新しい人生を歩き始めることに成功しました。
これによって、問題そのものは解決されていませんし、相変わらず、家族の苦労は変わらないかもしれません。しかし、その問題によって、家族生活が破綻してしまうということは、避けることに成功したわけです。
介護をしている時にも、受け入れがたいつらい思いをすることはたくさんあります。介護者は、問題行動をとってしまう要介護者に対して、負のイメージを持つことも少なくありません。
そんな時に、その問題自体を外在化してみて、発想を変えてみることは、そこから抜け出すための糸口になる可能性があります。失敗するかもしれませんが、今、自分の家族が支配されている物語から、一歩外に出てみることで、あらたに見えることもあるでしょう。
悪いのは要介護者ではなく、そこにある問題なのです。ナラティヴ・アプローチでは、その問題は解決しないかもしれません。それでも、その問題が、家族生活を破壊することは阻止できる可能性は十分にあります。
あなたのところの『スニーキープー』は、どのような悪さをしていますか?そして「プーの思い通り」にならないためには、どのようなことができるでしょう?
※南山 浩二, 『物語とケア ナラティヴセラピーの展開』, 大阪大学人文学部総合講義, 2006年12月15日
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