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1962年、カリフォルニア大学バークレー校では初めて、重度の障害を負った学生が入学します。彼の名をエドワード・ロバーツ(Edward Roberts)と言います。彼は後に、世界で初めて障害者自立生活センター(Center for Independent Living; CIL)を創設し、また、カリフォルニア州のリハビリテーション局長や国際障害研究所所長に就任することになります。彼は、1995年に永眠するまで、いわば、自立生活のシンボル的な存在でした。
1939年に生まれたロバーツは、14歳のときにポリオ(いわゆる小児麻痺)を発症し、四肢麻痺と呼吸器障害になります。障害に苦しみながらも、1962年、23歳のときにカリフォルニア大学バークレー校へ入学します。当時は、障害者の学習環境は全く整っていなかったため、ロバーツは、自ら環境の改善活動を主導しながら、大学生活を送りました。
政治学で大学院(修士課程までで、博士号の取得は断念している)を出て、その後は教員としてバークレー校に就職しています。そして1972年に障害者自立生活センター(CIL)を設立し、障害者の自立を守るための世界規模の運動の起点となっていくのです。ここから、ロバーツは「自立生活運動の父」とも呼ばれています。
ロバーツの登場以前の世界では、自立とは、経済的な独立と、誰の助けも借りずに日常生活を送れることを意味していました。しかし「なんでも自分でやれること」が自立だった時代は、ロバーツの登場と活動によって否定されて行きます。この思想を端的に表現したのが、以下の言葉です。
人の手助けを借りて15分で衣服を着て仕事に出掛けられる人間は、自分で衣服を着るのに2時間かかるために家にいるほかない人間より自立している。
ロバーツ以降の世界では、なんらかの障害を負っていて、誰かの介護を必要としているとしても、自分の意思で、自らのあり方を決めて生きることが自立なのです。自己決定権の行使こそが自立であって、そのために、外部リソース(他者の力)を使うことは、なんら恥ずかしいことではありません。「たった一度の人生を、どのように生きたいのか」ということについて意思を持ち、その実現に向けて活用できる外部リソースをフル活用することこそ、自立なのです。
逆に言えば、障害もなく、経済的にも独立できているように見えたとしても、外部リソースへの依存は(見えにくいだけで)無くなりません。たとえば、発電してくれる人がいなければ電気がありません。食料を生産してくれる人がいなければ食べられません。そうした外部リソースを使うことと、介護サービスを使うことに、本質的な違いはないはずです。
「なんでも自分でやれることが自立」という考えは、1960年代に否定されているわけです。要介護者(利用者)の中には、古い自立の考えを引きずっており、外部リソースを活用することを恥とする人もいます。しかし、そうした人こそ、ロバーツの活動とその意味についての理解を深める必要があると思います。
誰もが、なにかに依存して生きています。極端に言えば、人間である限り、太陽とこの地球の存在があり、光合成できる植物があり、食料となるものがあり、その上に人類社会があればこそ、生きられているのです。
ですから、自分らしい生きかたを我慢して、なんでも自分でできているように見えても、そこには必ず依存があります。自立とは、自分の意思で外部リソースの助けに依存しながらも、自分らしい仕事や社会参加をして、少しでも充実した人生を目指すことなのです。
なんらかの障害を負って、要介護者として生きるとしても、自立した人生を送ることは可能です。ほとんどすべての日常生活において介護が必要だとしても、自分らしい人生に向けて、介護環境をより良いものにしようとして、残されている選択肢と向き合い、決定していくことができます。
現実には「こうしたい」という意思があっても、その実現が不可能ということもたくさんあります。それでも、自分の置かれた環境の中での最善を目指し、そのための選択に責任をもって、選択そのものを他者に預けてしまわないことが自立なのでしょう。
※参考文献
・定藤丈弘, et al., 『自立生活の思想と展望』, ミネルヴァ書房(1993年)
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