閉じる

自宅での最後を希望する人にとっての訪問介護(東京大学)

自宅での最後を希望する人にとっての訪問介護(東京大学)

気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。

自分の最後は自宅で迎えたいという人が大多数だけど・・・

選べるのであれば、慣れない病院での最後ではなく、慣れ親しんだ自宅で最後を迎えたいというのは、自然な希望でしょう。実際に、2012年の調査(55歳以上)では、自宅での最期を希望する人は54.6%でした。しかし病院で最後を迎える人が73.4%(2017年)というのが現実です。

医療従事者は、病院での最後を推奨している訳ではないのに、どうしてこういう結果になるのでしょう。この点について、東京大学が、非常に重要な分析結果を出しています。以下、東京大学のプレスリリース(2019年8月30日)より、一部引用します(段落のみKAIGO LABにて修正)。

国内外の調査においては、多くの高齢者が自宅で最期を迎えることを望んでいます。また、高齢者が望む場所で療養して最期を迎えることができたときに、その家族の満足度が高いことが報告されています。ところが、日本における病死及び自然死であった65歳以上の在宅死亡割合は12.3%であり、73.4%が病院で最期を迎えています(2017年)。つまり、日本の高齢者が望む死亡場所と実際の死亡場所には大きな隔たりがあります。

自身が在宅療養を行うか否かを検討する際に、70%以上の高齢者が家族にかかる介護負担を気にかけると答えています。(中略)死亡前3か月間に訪問介護サービスを利用すると在宅死の確率が高くなることが示されました。(中略)訪問介護サービスの利用を通して、高齢者やその介護者の身体的、精神的な負担が軽減することで、在宅療養の継続やその結果としての在宅死が可能となった可能性が推察されます。(後略)

家族にかかる介護負担を下げることで希望が満たされる

死期が迫っている高齢者は、自宅で最後を迎えたいという希望と、家族の負担になりたくないという配慮の間で揺れている可能性があるということです。このとき、訪問介護をはじめとした公的サービスを利用すれば、家族に(あまり)負担がかからないという認識を持てば、希望を優先できるかもしれないというロジックです。

もちろん、ここで注意しなければならないのは「どこで死にたいのか」という質問は、アンケートならではの誘導の危険性があり、本人の意思とは異なる可能性があるということです。重大なテーマなだけに、より多角的な理解が必要になることは強調しておきたいです。

同時に、愛する家族の負担になりたくないという配慮が、自分の希望を追求するための邪魔になっているという認識は重要な理解の一つでしょう。家族の介護負担を軽減する介護業界は、心身になんらかの障害を追ってしまった人が、自らの希望を追求することに貢献しているわけです。

介護業界の存在意義を示す調査として

今回の東京大学による調査結果は、介護業界の存在が、人間の希望の追求に貢献していることを証明するものでもあります。介護業界は、人間の幸せに対して他の業界よりも直接的に貢献する業界であるという事実は、より広く一般に知られてもらいたいところです。

終末期における自宅での最後以外にも、介護業界が、人間の幸せに直結する貢献をしていることを示すデータが増えていき、それらがニュースとして広く取り上げられることを希望します。それは介護業界の誇りになるだけでなく、貢献に見合った対価としての待遇の改善にもつながると考えられるからです。

このアプローチは、時間がかかるものではあります。しかし、貢献を証明し、それに見合った対価を要求していくということは、保守本流のやり方でしょう。貢献の証明がなければ、どうしても相手の情に訴えかけるような形になってしまい、納得感の形成は難しくなります。

※参考文献
・東京大学プレスリリース, 『死亡前3か月間の訪問介護利用が高齢者の在宅死と関連 ~望む場所での最期を支える環境整備を~』, 2019年8月30日

KAIGOLABの最新情報をお届けします。

この記事についてのタグリスト

ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由