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高齢者は、戦っている。私たちは、その恐怖を知らない。

高齢者は戦っている

気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。

明日は、なにができなくなるのだろう

自分が高齢化すれば、昨日まで自分でできていたことが、できなくなるという経験をすることになります。日々、衰えていくことを実感することは、自分が死にゆくプロセスに入っていることを自覚するということです。

人間であるかぎり、誰かのお荷物であるよりも、誰かの役に立って「ありがとう」と言われたいと思います。しかし、高齢者となり、日々の衰えが感じられるようになると、誰かの役に立つということも困難になります。社会から「おまえは、いないほうがよい人間だ」と言われているような気持ちにもなります。

同時に、高齢者であるということは、人生経験が豊富であることを意味します。若いころよりもずっと多くの知識も持っています。知的に高度なレベルにあればこそ、自らの人生に関する悩みも深くなります。何事も、よく考える力がついているからこそ、老いの問題を簡単に片付けられないわけです。

寂しいからと、寂しくないことを求めるわけではない

高齢者になれば、親友だった人に先立たれたり、お互いに外出が苦痛になって、会う機会も減ったりします。社会的なかかわりも減ってしまうため、どうしても「寂しい」と感じることも増えて行きます。

そうした高齢者が少しでも寂しい思いをしないように、支援することも大事です。しかし、そうした支援だけで、本質的な寂しさが消えたりはしません。子供が独立したり、定年退職したりして、周囲から必要とされなくなっていくのは、自然の流れだからです。

高齢者は、そうした寂しさそのものと戦っています。戦いとはいえ、内面での戦いなので、周囲からは、もしかしたら「ただ落ち着いている」ように見えるかもしれません。しかし高齢者は、現役世代が感じることのない、大きな恐怖と戦っているのです。

その気持ちは、どんなに想像力を働かせても、自分が高齢者になるまでは、本当のところはわからないでしょう。無理に、本当の気持ちをわかろうとする必要はないと思います。ただ、大きな恐怖と戦っているという事実を認識しながら、人生の大先輩として接することしかできないのかもしれません。

きちんと話を聞いてみよう

高齢者の話は、現役世代からすると、自慢話が多かったり、くどかったり、説教じみていたりして、きちんと話を聞くのが難しいこともあります。ですが、関心を持って聞いてみると、当たり前ですが、知識も経験も、自分よりずっと上だったりします。

その人の人生には、どのような困難があって、それをどのようにして乗り越えてきたのかを聞いてみれば、迫力に圧倒されます。趣味や仕事で培った、意外なスキルも持っています。高齢者というくくりで考えると見えにくいのですが、その一人一人は、その年齢になるまで厳しい社会を生き抜いてきただけのなにかを持っているのです。

高齢者から教えてもらえることは、たくさんあります。しかし、そこから教えを引き出すのは、現役世代のほうです。ただ、普通に接しているだけでは、こうした教えを得ることはできないのです。意識して、相手に関心を持って、話を途中でさえぎったりせずに、質問を繰り返すことが大切です(これが意外と難しいのですが・・・)。
 

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