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気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。
介護が始まる前に、特に、親が認知症になる前に、介護について話し合っておくべきという意見は多いです。正確にはACP(Advanced Care Planning)と言って、終末期にどのような医療を望むかを含め、遺産のことや保険のことなども話し合っておくべきというのは、その通りなのでしょう。
しかし、そうとはわかっていても、実際に、親と向き合って、介護について話し合うのは、とても難しいという話も聞きます。「大地震があったらどうするか」ではなく「親の介護」となると、どうしても話出すことができないという人に出会うことも多くあります。
この理由として考えられるのは、親と介護について話し合うということは「親が死に近づきつつある」という事実を、家族の議題として顕在化させることが、心理的にハードルが高いということです。そして、財産などを確認し「あきらめなければならないこと」をはっきりさせるのも辛いことです。
もちろん、過去の親子関係にもよりますが、子供としては、人生の残りが少なくなった親には「できる限りのこと」をしてあげたいと感じるでしょう。しかし現実には、この「できる限りのこと」には、そんなに贅沢ではない限度があります。
例えば、子供は、親から「豪華客船で世界旅行をしてみたい」と言われても、富裕層でもなければ難しいということになります。親から「一緒に暮らしたい」と言われても、自分のパートナーや子供たちの意見もあり、勝手に決めることもできません。
親と介護について話し合う中で、こうして親の夢や希望を棚卸ししても「あきらめなければならないこと」ばかりが明確になっていくのです。実際にやってみればわかりますが、この作業は、親子の関係が険悪になったりもして、心理的に辛いものです。
だんだん弱っていく親を感じながらも、自分は、それと一緒に弱っていくことはできません。究極的には、いずれ訪れる別れを認識しつつ、自分と親の間に太い線を引いていくことができなければ、介護によって、自分も破綻してしまいます。
しかし、戦うべき相手は、勝ち目のない「死」ではありません。大事なのは、出来ないことは増えていくものの「残された親の人生」を、親が少しでも主体的に生きていけるように「手助け」をするということでしょう。
どのような介護になったとしても、子供の側には「もっと色々としてあげられるのではないか」という罪悪感が生まれてしまいます。そうした罪悪感を見つめながらも、自分の人生と天秤にかけて「手助け」の限度について線引きをしていくことが、飾らない介護の一面でもあります。
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