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「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」

「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」
気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。

日本における死学の開祖

アルフォンス・デーケン教授(上智大学)は、日本における死学(サナトロジー)の開祖とされています。日本における死生観の発展には、このデーケン教授の影響が非常に大きいと考えられています。

かつての日本では、死について語ることさえタブーとされていました。ほんの少し前までは、医師は患者に対して、ガンの告知さえできなかったのです。いまでは、終活という言葉が一般的なものになったり、ガンの告知も一般的に行われるようになりました。この背景には、デーケン教授による活動があるのです。

そんなデーケン教授が扱う考察のひとつが「ターミナルケア(終末期医療)におけるユーモアの役割について」です。こうした考察の中で、デーケン教授は「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」と語っています。

ユーモアは老いと死の妙薬

デーケン教授の著作のひとつに『ユーモアは老いと死の妙薬』(講談社)というものがあります。この書作は、デーケン教授本人が、ガンの摘出手術を受ける中で、あらためてユーモアの大切さを確信し、その確信を世に発信する形で成立しています。

「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」という言葉は、心理的にネガティブな状態にあるときこそ、ユーモアが必要ということを意味しています。特に、死が現実的なものとして迫っている人にこそ、ユーモアが求められるということでもあります。

こうした場面でユーモアに頼ることは、日本的には不謹慎とされることもあります。だからこそ、デーケン教授のように、学者による学問としての側面から、ユーモアの効果について理解することは、とても大切なことだと思います。

笑うことの大切さとユーモアの教育

笑うことが、人間にとっていかに大切なことかは、あらためて述べる必要もないでしょう。医学的にも、笑うことのポジティブな効用は、長く注目され、研究されてきました。笑うことは、もはや人間の定義と言ってしまってもよいほどに、私たち人間の根幹です。

そうした背景を認識したうえで、私たちの社会を見つめてみると、この社会は、他者をよく笑わせる人の貢献を低く見積もりすぎではないかという気持ちになってきます。逆に、他者をまったく笑わせることのない人も多数いるということも気になってきます。

日本はこれから、多死社会に向かいます。そうした社会では「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」と言うとおり、ユーモアが求められます。いまの日本に必要な教育は数知れませんが、そうした教育の中に、他者を笑わせるためのユーモアの教育も加えるべきではないかと思うのです。

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