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気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。
延命治療への批判は、ずっと以前から存在しています。手の施しようがない病気になった場合、より長く命を持たせようとすると、少なからぬケースで、苦しみが長引きます。実際に、痛みを緩和させ、最後の時を少しでも豊かに過ごすこと(終末期医療)が大事という発想は、特にヨーロッパでは、かなり昔から定着しています。
しかし日本では、まだそうした終末期医療が十分に普及しているとは言えない状況です。そうした状況を、日本の医師たちはどう考えているのでしょう。以下、マイナビニュースの記事(2017年12月3日)より、一部引用します(改行位置のみ、KAIGO LABにて修正)。
医師・医療従事者向け情報サービスサイトを運営するケアネットは11月30日、医師1,000人に対して行った「自分自身の延命治療」についての調査結果を発表した。(中略)「自分自身の延命治療」について聞いたところ、70.8%の医師が「控えてほしい」と答えた。
自由回答では「自分で思考できて初めて”生きている”と考えている」「だんだん状態が悪くなる姿をさらしたくない」「家族の精神的・経済的負担が大きすぎるのを普段から見ているため」「(回復が見込めないなら)お金と医療資源は必要な人のために使わなければいけない」などがあがった。(後略)
医師は、その仕事がら、多くの死を見ることになります。どれひとつとして、同じ死はありません。なので、医師に話を聞くと、なんど死に立ち会っても、慣れることは(なかなか)ないそうです。もちろん、医師による個人差も大きい話なので、一概には言えないことなのですが。
それでも、どうしても人が死ぬのを見たくないという医師は、むしろ、監察医(死体の解剖などを担当する)になるとも言います。すでに亡くなっている人であれば、死ぬところを見なくてすむからだそうです。
歴史的に考えれば、現代ほど、一般人が人の死を見ない時代はありません。だからこそ、私たちは、死について正面から考えることが苦手になっています。そうした現代において、もっとも人の死を見ている医師たちの意見には、もっと耳を傾けるべきだと思うのです。
いうまでもなく、延命治療は重要な医療行為です。「生きたい」と願う人の命を、できる限り伸ばすことは、そもそも医師の使命でもあります。同時に「これ以上は苦しみたくない」という人の命を、誰がどのような責任を持って終わらせるのかについては、社会的な議論を経た合意が必要です。
これからの日本は、高齢化の行き着く先として、避け難く多死社会に突入します。そこでは「生きたい」と願う人ばかりではなく、回復の見込みのない病によって「これ以上は苦しみたくない」という人も多数出てきます。いわゆる終末期医療の問題です。
そうした本人の要望に対して、日本の社会はどうしていくのでしょうか。医療の現場には、ここに対して社会的な議論や合意のないまま、この重要な問が丸投げされてきました。しかし、延命治療には高額な医療費が必要になるため、もはや社会がこれに対して何も決めないでいることにも限界がきています。
※参考文献
・マイナビニュース, 『延命治療、医師の7割は「自分の延命治療は控えてほしい」 -ケアネット調査』, 2017年12月3日
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