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墓友(ハカトモ)という活動がある

墓友(ハカトモ)という活動がある

気持ちに余裕がない場合は、この記事は読まないでください。「看取り」に関する内容になります。

先祖の墓に関する悩みが増えている

子供がいない夫婦だったり、結婚していなかったり、そもそも先祖の墓がどこにあるのかわからなくなっていたり・・・墓に関する悩みは、多くの高齢者にとって、深刻になってきています。子供がいても、都会では、そもそも墓参りをするような伝統が廃れています。物心ついてから、一度も墓に行ったことがないという人も増えているのです。

少子高齢化社会とは、高齢者に対して、若者の数が極端に少ない社会のことです。そうした社会では、無縁仏になってしまう可能性が高まるのも当然のことでしょう。しかし、若い頃は墓に無関心だった人も、自分の死を意識するような年代になると、さすがに無縁仏は嫌だという感情を持つようです。

そんな自分自身の死後について考える、いわゆる「終活」の一つとして、墓友(ハカトモ)というものが活発化してきているようです。高齢者たちが、こうした墓に関する課題を話し合い、場合によっては同じ墓に入る友達をつくるというもので、専門のコンサルタントなども増えていきていると聞きます。

本当は墓そのものが問題なのではない

墓友という言葉からは、不謹慎な感じを受ける人もいるかもしれません。実際に、この言葉には、死が近づいている自分自身を自虐的にとらえる面があると思います。同時に、自虐的ではあれ、死を正面から見つめる覚悟も感じられます。

本当の問題は、墓そのものではないと考えられます。高齢者になると、新たな人間関係を構築する機会も減りますし、嫌でも孤独になります。仲の良かった友達も次々と亡くなり、迫り来る自分の死を思うと、不安になります。

高齢者の多くは、孤独と不安を抱えています。墓友は、これらを少しでも和らげる活動として考えると、その可能性も理解できます。

大人になってからの人間関係には、そのほとんどに、金銭的な利害関係があります。金銭的な利害関係があると、友情は育みにくいということは、多くの人が感じていると思います。結果として、私たちにとって親友と呼べるような人は、子供のころに出会っているケースがほとんどでしょう。

実は、お互いに死が近づいていることを自覚している間柄にも、金銭的な利害関係が(あまり)成立しません。そうした出会いは、人生において、真の友情を育むのに貴重な機会になります。墓友という、自虐的な言葉を楽しめる間柄だからこそ、はじめから本音で話し合えるのかもしれません。

高齢になった親は、子供の知らないうちに終活をはじめている

忘れられることが多いのですが、高齢者は、知恵と経験において、若者に勝っています。そうした高齢者は、子供の知らないうちに、自分の孤独と不安を解消しようと、なんらかの「終活」をしているものです(もちろん、そうではない人もいますが)。

真面目な親であれば、相続(後見人の設定)やエンディングノートといった「終活」に関心を持っていますし、すでにアクションを起こしていることもあります。

しかし、こうした常識的な「終活」は、プロの力を借りつつも、基本的に一人でやるものです。これらは、とても大事な活動ですが、孤独や不安を解消させることに対する効果としては、疑問符がつきます。

その点、墓友という活動は、ユニークです。デイサービスや家族会などには参加したがらなかった要介護者が、墓友との時間だけはいつも楽しみにしているというケースもあるそうです。墓友の活動は、誰にとっても有効ではないかもしれませんが、もしかしたら、大きな前進につながるかもしれません。

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