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【書評69】『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』小堀鷗一郎著, みすず書房

死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者
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昔は当たり前だった在宅死が病院死に取って代わられ、病院で最期を迎える人が8割以上を占めています。著者はこの理由として、交通網の発達で病院に行きやすい、在宅と病院の診療レベルの格差、在宅医療に診療報酬がなかったことなどあげたうえで、次のように結論づけます。

“死は敗北”とする医療側・介護側の思いこみや、病院死が一般的になってすでに40年がたち、自宅で病人を看取る記憶が失われていることなど、より根源的な理由があると私は考えている。(p1、2)

本書では訪問医としての日々が綴られ、この「根源的な理由」が掘り下げられています。本書の著者は東京近郊の病院で10年余訪問医療を続ける医師です。40年間、食道がん専門の外科医として、救命・治癒・延命の日々をすごし、退職後に勤務したのが現在の病院です。

往診の始まりは、退職する同僚から引き継いだ2人の寝たきりの患者です。著者は高齢患者に親しみやすい言葉として在宅医療ではなく往診という言葉を選んでいます。患者は半年で20人を超え、4年後に40人、9年目で100人を超えます。

外科医としての40年間は、いかに手術死亡率を低くするかに心を砕き、合併症で重篤な状態の患者に対しても1日でも長く生かすことだけを考えていたと言います。往診を重ねるうちに、「人が死ぬこと、生きること」を、外科医時代とは全く違う視点から深く観ることになります。外科医時代の自分の姿勢が、死にゆく患者やその家族にどのように映っていたのだろうかと振り返っています。

訪問医としての初期の体験から始まる第1章から第4章まで、テーマに沿った41の実例があげられています。事例の記述は、淡々と事実を描写していてカルテを思わせます。どのケースでも、患者本人はもちろん、家族に対しても決して批判することはありません。

それぞれのケースから社会的な問題、個々人の意識の問題をあぶり出し、分析していく姿勢には、簡潔で的確なカルテから病因を探し出し、対処法を探る医師の視点を感じます。直接患者と家族に関わる姿勢は優しい手による「触診」のようです。

各章のテーマは個人にとどまらず、在宅医療に関わる行政、マスメディア、医療機関の現状を取り上げています。355人を往診する中で知った切実な問題点を鋭く指摘します。そこで参照される資料は多岐にわたっています。

一般の新聞雑誌、医学雑誌、国際的な統計資料はもとより今昔の文学作品と、その膨大さに圧倒されます。医学雑誌に短いエッセイを書いたことはあるが、まとまった長文は書いたことがなかったという著者は、以下のように述べています。

(外科医という白黒の明瞭な世界で半世紀を生きてきたが)訪問診療と一人一人の看取りという、マニュアルのない、黒白のつかない世界での体験をまとめるにあたっては、事実の短編をコラージュしていくという方法論が有効であろうと考えた(p200)

として、ソ連の女性作家の作品を例に挙げています。本書に通底する医師としての視点と文学的な素養は、著者の祖父が森鴎外、母が小堀杏奴であることと無関係ではないと思われます。冷静な文章ですが、少なからぬ逸話に、何よりも患者の気持ちを大切にする熱い心が見えます。

・病院から十数キロ離れている患者も事情を知れば知るほど断るわけにはいかない。
・患者の病状が心配で訪ねると、玄関に鍵がかかって入れない。止むを得ず窓から入った。
・どうしても気になる患者を私服で時間外に訪ね、看護師に「サービス訪問」とからかわれる。

など枚挙にいとまがありません。今年の2月14日、日曜日夜9時 にNHKスペシャルで放映された『わが家で大往生したい…父を支える全盲の娘…103歳の最後の決意 80歳医師 “老老医療”』を御覧になった読者も多いかもしれません。

自身で運転して患者を訪ね、ややぶっきらぼうな口調で何気ない会話を交わす姿は本書の文体に通じるものを感じさせます。放映後、全盲の娘が末期がんの父親を看取る話に感銘を受けた視聴者の反応が多かったようです。

それは静かで感動的な挿話でしたが、著者の姿勢が最もよく出ていたのは、高齢の親を施設に託す決意をした、これもまた高齢の息子夫婦の話でした。母親自身は家に居たい、息子夫婦もできるならば家で見たいと思っています。

しかし、著者は介護する側の疲れが限界に達していることを見逃しません。施設に託すよう、息子夫婦の背中を押してあげます。本書では、在宅で死を迎えられなかった悲惨も取り上げていますが、在宅医療こそが素晴らしいと主張しているわけではありません。

「病院以外での死」の可能性が認知されるのに伴い、在宅診療、在宅看取りによる「理想的な死」が語られ、その秘訣が語られるようになった。その結果、病院死から在宅死へと向かう大きなうねりが発生しつつあることを、私は現場で実感している。そして、そのうねりの先に私が懸念するのは、世論がなだれを打って在宅死に傾く危険性である。入院死は敗北であり、在宅死こそが正しいという「在宅神話」に、今度は患者も家族も縛られる状況である。(p151)

と在宅医療礼賛の流れに、危機感を覚えています。

入院死か在宅死かの選択は、その患者とその家族にとって望ましいかどうかの総合判断で決定されるべきである。死は普遍的という言葉が介入する余地のない世界である。(p155)

本書は、在宅医療の現状や今後のあり方を示すだけではなく、「いかに死ぬか、すなわちいかに生きるか」を考えさせてくれるものです。あとがきで、本書を書いた理由のひとつとして、以下のようなことが述べられています。読み終えて、本書は看取る人、生きていく人への応援歌だとも思えます。

個々の患者の死の記録を残すことは、誰からも顧みられることなく、無名のままこの世を去った人々への挽歌として意味があるのではないか(p200)

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