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【書評67】『母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記』松浦晋也著, 日経BP社

母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記
Amazon: 母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記

ノンフィクションライター、科学ジャーナリストとしてフリーランスで働く著者が、自らの介護体験を赤裸々に綴っています。今までも介護体験記はたくさん出ています。中でも、介護を「明るく」「前向きに」「ユーモラスに」描いたものが受け入れられやすいかもしれません。

介護を明るく捉えることは、決して悪いことではありません。明るい体験記にはげまされることもあります。ただ、介護体験のない読者に介護の現実を誤って伝えかねない恐れもあります。

現在介護に苦しんでいる人は、ゆとりをなくしている自分を責めることになるかもしれません。できる限り客観的に事実を書こうとしている体験記も、辛すぎて直視できない部分にはフィルターをかけがちです。しかし本書では、介護する側の心情がリアルに描かれています。

2014年夏時点で、53歳の著者は、80歳の母親と同居しています。IT企業に勤める弟は遠方に住んでいるわけではありませんが、激務のため介護には関われません。妹は一家で海外に住み仕事をしています。

独身かどうかにかかわらず、ほとんど一人で介護を担っているという人はたくさんいます。著者が体験した失敗の数々は一人で頑張っている人たちの参考になるでしょう。また、周囲の人たちにとっては、介護を担っている人の心身の苦しみを理解する手がかりにもなるはずです。

サブタイトルに挙げられている50代というのはあまり関係なさそうに思われます。しかし、実際は介護に対する考え方にかなり影響していると思われます。

「長男だから自分が介護するのが当たり前」「母親がひとりで祖父を介護しているのを見ていた=介護は家族がするもの」という意識はある程度年齢を重ねた人の方が強いでしょう。

優しい孝行息子が懸命に介護していたのに…という痛ましいニュースは息子も高齢のケースが多いのは、そういう意識が介護者を追い詰めた要因のひとつだと思われます。

また、著者は、こんな仕事をしているのにと呆れられるだろうがと前置きして、公的支援制度について、ほとんど知らなかったと言っています。制度を知らないのですから、利用することなど思いつきもしません。

KAIGO LABの読者には驚きかもしれませんが、年代に関わらず、実際に介護に直面するまで介護保険の内容も使い方も知らない、あるいは無関心という人は沢山います。

同居する母親が明らかにおかしいと気付いてから、グループホームに入居するまでの2年半を中心に書いていますが、それ以前から始まっていた母親の異変を振り返っています。

調味料や歯磨き粉などの在庫がたくさんあるのに次々と買ってくる、料理の味付けがおかしくなるなど認知症の徴候が出てきます。それでも著者は年齢なりのうっかりだと思って何も手を打ちません。

私は事実を事実とみとめたくなかったのだ。面倒を抱え込むのは誰だっていやだ。目の前の事実を認めると面倒が自分の生活に舞い込んでくる。だから事実を認めないことにしてしまったのかもしれない。これは今考えれば大失敗だった。危機管理上ありがちで、最も警戒すべき事態をまんまと見逃してしまった。(p19)

やがて、来てもいない仕事のメールを来たと思い込んだり、無意識のうちに「死ねばいいのに」とつぶやいている自分に気づきます。そこで著者の様子見かねた弟が公的支援を受けるための手続きに奔走してくれます。

これは大きな転換点であり救いになるはずですが、それで万事解決とはいかないのが現実です。さまざまなサービスを利用しながら取材の長期出張もこなします。けれども、必死で介護していても感謝されるどころか、不平不満をぶつけられる日常に著者の心身は悲鳴を上げ始めます。このままでは自分が壊れるという前兆は、以下の記述にも現れています。

「目の前であれこれやらかす母を殴ることができれば、さぞかし爽快な気分になるだろう」という想念となって現れた。理性では絶対やってはならないことだと分かっている。背中も曲がり、脚もおぼつかず、転んだだけで骨折や脱臼する母を私が本気で殴ろうものなら、普通の怪我では済まない。殴ったことで母が死んでしまえば、それは殺人であり、即自分の破滅でもある。が、理性とは別のところで、脳内の空想は広がっていく。(p203)

そして、空想の域を超えて、ついに母親に手を上げてしまいます。第18章の「果てなき介護に疲れ、ついに母に手を上げた日」(p203~213)を読めば、悲惨な介護殺人は誰にでも起こりうることだと、改めて思い知らされることになるでしょう。

介護を経験した人には身につまされる場面がたくさん出てきますが、今まで介護についての本であまり取り上げられることのなかった「通販」の問題があります。これは認知症ではなくとも高齢の親を持つ人にぜひ知っていただきたいことです(第3章 / p32~39)。

一度契約してしまうと月極めで使うこともない品物が届く、料金だけは律儀にコンビニで払う、著者が解約の手続きをしても、またテレビの通販番組を見て電話してしまうということが繰り返されます。

止めようとする息子と新たな契約をしてしまう母親との諍いが増え、消耗していきます。著者は、違法ではなくてもこの商法は問題だと強く主張しています。通販業者として仕事をしている人にも、ぜひ読んで、筆者の言葉に耳を傾けてもらいたいです。

本書の次の言葉には、介護に関わると誰でも知ることになる真実が述べられています。色々なところで述べられていることではありますが、この言葉が、介護と(まだ)関係のない人にも届くことが重要だと思います。

体験して初めて分かったことではあるが認知症老人の介護は、自分が頑張りさえすればなんとかなるような甘いものではなかった。介護をやりとげるには、「公的介護制度をいかに上手に使い倒すか」という戦略性が必須だった。老人の介護は、本質的に家庭内に収まらないのだ。「いや、基本的に家庭が介護すべきだ」という意見の方は、実情がよく分かっていないのだと、私は思う。(p63)

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