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【書評64】『こんな夜更けにバナナかよ』渡辺一史著, 文春文庫

こんな夜更けにバナナかよ
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健康長寿は誰もが望むところです。でも、それは必ずしも本人が人生を楽しむためだけではないようです。「家族に迷惑をかけたくないから」という理由もよく挙げられます。高齢者も家族も、なんの疑問もなく受け入れている言葉です。

しかし、歳を重ねていけば、多かれ少なかれ病気になったり身体が不自由になったりすることは避けられないものです。若くても病気や事故で障害が残ることもありますし、生れながらに障害をもっている人もいます。

健康であることは迷惑をかけないことと同義なのでしょうか。そもそも「迷惑をかける」とはどういうことなのでしょう。この本は私たちが何気なく口にしている言葉、当たり前と思っていることを大きく揺るがします。

本書は、重症の筋ジストロフィー患者である鹿野靖明と彼を24時間支えるボランティアたちを描いていたノンフィクションです。とはいえ、特定の疾患を持った人のための本ではなく、障害者に限らず、介護を必要とする人、介護する人、それを取り巻く社会状況を知るための大切なことが語られています。

本書は、2003年に北海道新聞社から出版され、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞しています。2013年に文藝春秋から文庫版が出ました。自分にとって「介護」はまだまだ先のことと思っている人はもちろん、介護職、医療関係者にとっても、常識を見直すきっかけになると思われます。

昨年末に公開された同名の映画の原作になったものです。映画の脚本を基にしたノベライズ版も出版されています。本書の半分くらいの厚さですが同じカバーで書店に並んでいます。しかし、これはフィクションとして読むべきものでしょう。映画を見た方にも、ぜひ本書を読んでいただきたいと思います。

著者は、この取材を始めるまで、障害者と親しく接する機会はありませんでした。街で見かけることはあっても1対1で話をするのは初めてです。初対面の時の緊張感と戸惑いが素直に綴られています。障害や福祉の専門家ではない人、つまり多くの読者と同じ視点から書かれています。

初めて訪れた鹿野の家の状況は「扉を開けると、そこは明らかに一つの「戦場」だった。」(p14)と言います。まず著者が衝撃をうけたのは、筋ジストロフィーの重症患者である鹿野の強烈な個性です。

遠慮などかけらもなく、ボランティアに向ってあれをしろこれをしろというのは当たり前、気に入らなければ怒鳴り散らしたり、物を投げたりします。物をつかむ力も投げる力もないので、ボランティアの1人が鹿野の握力に合わせて投げるものを選ぶのです。

食事や排泄、寝返りはおろか、誰にでもあるのに障害者にはないことにされがちな性欲まで、あらゆることに人の手を借りなければなりません。また、呼吸器をつけているため、日に30回を超える痰の吸引が必要です。これらの全てを有償無償のボランティアに頼らざるを得ません。

稼働中のボランティアは約40人。その7割が学生、3割が主婦・社会人である。卒業・就職シーズンには、当然のことながら多くのスタッフが入れ替わる。「トコロ天のように人が入ってきて、トコロ天のように人が出ていく。オレの人生はこうやって終わっていくんだろうか」というのが鹿野の口グセである。(p30)

学生の試験期間や長期の休みの人員確保は大変です。1人1人に電話してスケジュールを組むのは鹿野本人です。受話器を支えてもらって2時間以上電話し続けることもあります。これは文字通り命がけの仕事です。

「呼吸器をつけた人が電話をする?」と疑問に思う人もいるでしょう。ボランティアのベテランナースも呼吸器をつけてしゃべれる人は初めて見たと驚きます。呼吸器の構造上、誤嚥防止のバルーンが気管に密着して声帯に空気を送り込めなくなるため理論的にも話せなくなるはずなのです。

しかし、鹿野は、このバルーンのふくらみと呼吸器の換気量を自分で調節することで器用に声を出す。この発声法を呼吸器装着後、半年でマスターし、「呼吸器患者はしゃべれない」という定説をあっさりとくつがえして見せた。(p69)

このように、何もかも型破りな鹿野靖明を支えるボランティアたちの一人ひとりの事情や思いも、丁寧に描かれます。特に気になった3人の学生ボランティアに直接インタビューしています。ボランティアに参加した動機も鹿野との関係もさまざまです。

さらに、随所に挟まれる介助ノートからもボランティアの個性や鹿野との関係が読み取れます。このノートには、鹿野自身と介助者が書いていて、双方を繋ぐ大切なツールであり日々の記録にもなっています。ここからも多種多様なボランティアたちの姿が見えます。

鹿野によると、ボランティアには、「憐れむ人」「励ます人」「障害者を子ども扱いする人」「してあげるオーラを発散する人」「軽く考えている人」「深刻すぎる人」「病気のことはアナタより私の方が知っていると信じて疑わないナース」などいろいろいるそうだ。それまでの経験や「障害者観」「病人観」などから出方は各人各さまざまだということだろう。(p120、121)

障害者の自立生活など考えられなかった時代に、障害者はどのような生活を強いられてきたのか、社会の常識や制度に立ち向かう障害者運動についてもまとめられています。鹿野はこの運動に関わることで変わっていきます。

各章の最後にNOTES(注釈)が付いていますが、いちいち参照せずに本文だけを読み進めることができます。ただ、NOTESも充実していて、医療や福祉について知るための優れたミニ辞典の役割を果たしています。時間のあるときにここだけめくって読んでみてください。

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