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【書評59】『治さなくてよい認知症』上田諭著, 日本評論社

親の介護で自滅しない選択
Amazon: 治さなくてよい認知症

近い将来、高齢者の2人に1人が認知症になるとも言われています。現在もその数は増加しているにもかかわらず、日本で、認知症についての正確な理解が進んでいるとは言えません。人間は将来に準備することが苦手な生き物とはいえ、ここをあきらめてしまうわけにもいきません。

認知症の過半数をこえるアルツハイマー型には、現在では有効な治療がありません。進行を遅らせるとされる薬も、効果は人によってまちまちです。行動心理症状(幻覚やうつ、妄想など)に対して処方される向精神薬や抗精神病薬には副作用の問題もあります。

それにもかかわらず、テレビ、新聞、雑誌には「これだけで治る」「こうすれば予防できる」という認知症に関する情報があふれています。認知症予防の効能をうたった健康食品も数多く売られています。本書の著者が「治らなくていい」「治さなくていい」というのは、このアルツハイマー型認知症です。

本書で「認知症」という場合、原則として高齢のアルツハイマー型(アルツハイマー病)の軽度から中等度を指すものとする「治る認知症状態(treatable dementia)はもちろんのこと、重症例や若年のアルツハイマー病、血管性認知症、前頭側頭葉変性症など他の種類の認知症は含まないことに注意をお願いしたい。(p17)

認知症の60~70%がアルツハイマー型である以上、多くの人が必要としている情報といえるでしょう。さらに、著者がくり返し述べている「認知症の人、本人を中心にした医療、介護であるべき」ということは、アルツハイマー型に限らず、どのタイプの認知症の人にとっても大切なことです。

著者は新聞記者として働いたあと医師になった人です。現在は精神科の医師として各科で診療に携わり、長く高齢者専門外来を担当している人です。認知症医療の現状を厳しく問い直し、マスメディアの皮相な報道を批判しています。

現在の認知症診断と精神科臨床の問題点を指摘し、介護サービスの活用法を具体的に書いています。認知症の診断や家族へのアドバイスの仕方などを、医師向けに詳しく書かれていますが、一般の読者にも読みやすく理解しやすい内容です。

そして、著者は介護する人の辛さを充分理解しています。巻末近く、p166~177に『ご家族(介護する方)へのメッセージ』を書いていて、まず最初にここを読んでから冒頭に戻って読んでほしいと言っています。また、著者が一番大切にしている認知症の人本人には『ご本人へのメッセージ』P158~163で「いまのあなたのまま、張り合いをみつけて」と呼びかけています。

本書で繰り返し強調されているのは、認知症になった人を人間として尊重することの大切さです。特に目新しい主張とは思えないかもしれません。しかし、読み進めるうちに、医師も家族も「患者本人を尊重する」のではなく「困った人の困った言動を抑えるための治療」を求めているのではないかということに気づかされます。

診察室での光景が書かれています。医師は家族の困っている話(本人にとってはプライドをずたずたにされるような話)だけを聞いて薬を処方して終わりです。不安そうに、あるいは不機嫌な顔で無言で座っている患者本人は、いないかのような扱いです。ここで、とりわけ重要なのは医師の姿勢です。

医師が認知症を診断したあと、まず始めにすべきことは、抗認知症薬を処方する(かどうか検討する)ことではなく、家族や介護者が抱いている「治ってほしい」意識を変えることである。もしうつ病や他の疾患の診療と同じように症状を治さないと意味がないと医師が思っているとしたら、最初に医師がその意識を変えなければ始まらない。(p22)

医師や家族の「治ってほしい」という意識が、認知症の人の自己肯定感と自尊心を損ない、症状を悪化させるだけだという指摘は、読者を立ち止まらせ考えさせます。もちろん、必ずすべての認知症で、こうしたことになると言っているのではありません。ただ、こうした視点も重要だと思います。

もし治るなら、素晴らしいことである。しかし、治らない病気を前に、治りますと期待させること、治しましょうと促すことは、非常に酷なことである。治るのではないかと期待する家族や周囲の人はもちろんのこと、何より認知症の人に対してつらい酷なことだというほかはない。(p23、24)

認知症の治療のための研究はおおいにされるべきです。また、効果のある薬が発見されることは誰もが望むことです。しかし、今現在、患者である人とその家族にとって大切なことは何か、どうすればいいのか、著者はそれを問い直しています。

認知症と診断された人は自己肯定感や自尊心が深く傷つきます。傷ついた自己肯定感や自尊心を回復させることで生き生きとした生活も取り戻せるのです。そのために医師のすべきこととして次のように提案します。

本人のできないことを「忘れていい、できなくていい」と受け入れることである。それが前提と心得て、支障のないよう生活上の工夫を考えるのである。家族が抱く「どうして忘れるの」「どうしてできないの」という嘆きや「困った状況を変えなければ」「厄介なことを減らしたい」という願いは不要なものであることをていねいに話し、意識を根本的に変えてもらうよう促したい。

これまで長年頑張ってくれたのだからもう努力しなくていいよ、そのままのあなたでいいんだ、という気持ちを、医師も家族ももちたい。「指摘しない、議論しない、叱らない」を生活上接するときの鉄則として提案したい。そのうえで、「やって」や「こうしなきゃ」と言葉だけで「指導」するのではなく、「慰める、助ける、共にする」を信条としたいのである。(引用p32)

いま現在、認知症の家族の介護で疲れきっている人は、「そんな悠長なことを言ってはいられない」と反発するかもしれません。そんな反発を想定し、第4章のBPSDを生む対人心理のゆがみ(p69~97)の中の『家族の嘆きに答えて』(p90~97)では、家族の訴えの例をいくつか挙げています。

「プライドばかり高くて困る(何もできないのに)」「外づらだけよくて、うちではわがままばかりです」「誤りを認めないで、取り繕うことばかり上手で‥‥」「探し物ばかりして、私を盗んだ犯人にします」「私が出かけると、女に会いに行ったとか言って怒るのです」

それぞれに、認知症専門医としての説明とアドバイスが書かれています。介護している人には、思い当たる悩みでしょう。さらに「認知症」との誤診から回復した事例(p105~110)では、3つの例を挙げ、症状と治療の説明に加えて詳しい解説が添えられています。

誰もが歳をとります。高齢になって認知症になるのは、ある意味自然な流れでもあります。大切な家族のためにも、将来の自分自身のためにも、著者の言葉を真摯に受け止めたいものです。

社会も人も、長寿をほめたたえるのであれば、認知症を当然のことと考え、その備えをすべきなのである。備えというと、利用できるサービスや施設など福祉施策や社会資源だけを考えがちになるが、そこにはもっとも重要なことが欠けている。

それは、社会の人々の認知症の人を見る見方、意識である。認知症をことさら問題視するようなことをせず、長寿になったのだから認知症になっていい、治さなくていい、認知症でも楽しく生きることを考えよう。そういう意識を誰もがもつべきなのである。(p28、29)

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