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【書評57】『〈老いがい〉の時代』天野正子著, 岩波新書

〈老いがい〉の時代
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戦後から現在までの映画(本書では2011年公開まで)を通して、老いのかたちと社会的な背景を追っています。そこから、老いていくことで得られる「生きがい」=「老いがい」はどこにあるのかを探っています。

「老い」は、個人的にも社会的にも否定的に捉えられがちです。それが肯定的に語られることは、それほど多くはありません。実際に、アンチエイジング関連の情報が溢れているのも「老い」は遠ざけるべきものと考えられているからでしょう。

百歳を超えても元気な人、現役で活躍している人がいることは喜ばしいことです。しかし、そういう老人がことさら賞賛されることは、そうではない大多数の老人を否定することにもつながりかねません。

人間は、この世に生まれ、成長し、老い、いずれ死を迎えるものだというあたりまえのことがあたりまえのこととして受け入れられない社会は健全なものでしょうか。「老い」の否定的な面だけに焦点が当てられるようになったのはいつからなのでしょうか。

高齢者の増加が国家全体を経済的に圧迫し始めているのは事実です。それは解決すべき大きな問題です。しかし、高齢者の存在そのものを否定するような価値観が社会全体を覆うこと、それによって高齢者が自尊心を奪われていくことは社会全体にとって良いはずはありません。本書の前書きから引用してみます。

作家の住井すゑ(1902~97)は、「老いている状態」にすぎない老人を、直線的に「老人問題」にすりかえていく日本社会について、こう語っているー「人間、年をとることは自然なので、それが“老人問題”だと騒がれるのはよくよく世の中がゆがんでいるからです。多くの年寄りは、老人問題、老人問題と騒がれると、生きていて悪いのか、もう死ななくちゃいけないのかと……」(「生命、永遠に新し」)

この住井すゑの発言は30年以上前のものです。今でも通用するばかりか、社会の歪みはさらに悪化しているとは言えないでしょうか。昨日と何も変わっていない人間が、経済活動から離れたとたんに「社会のお荷物」として扱われる社会が、私たちが望んでいるものでしょうか。

いまの現役世代はもとより、生まれたての子供も、例外なく必ず老いていきます。いま「問題」にされている「老人」は全ての人にとって将来の自分自身です。すべての人の成り行きの未来にあるものが、そうした悲惨でよいものでしょうか。また、著者は次のように言います。

老いは誰にとっても未知の世界、初体験である。「他者の」ではなく「自分の」老いは、「思いがけない、未知なるものの正体」というより他ないものである。そこには当然、不安が伴う。私たちにできるのは、その未だ経験したことのない老いや老年の世界、老いの正体を「想像」してみることだけである。

老人を「シルバー」や、行政用語の「高齢者」にいいかえても内実は変わらない。むしろ老人や老年の現実を見据える目を曇らせてしまう危険性がある。本書では「老人」という言葉にこだわりたい。

本書では、まず、戦後の巨匠3人(木下恵介、小津安二郎、黒澤明)をとりあげ、それぞれの監督による老人の描きかたの違いについて述べています。

木下惠介の作品『楢山節考(ならやまぶしこう)』については、厳しい現実に向き合うより老いの意味や理想を問うことを選んだと読み解きます。自ら捨てられるのが、なぜ、おじいさんではなくおばあさんなのか、その理由として原作者・深沢七郎の「おばあさんがとても好きだ」「とくにおばあさんは失うものをもっていないところが好きだ」という言葉を引用しています。これが現代の「おばあさん」にも当てはまるかどうかは別として、現在も残る「理想の母」のイメージに通じるものがあります。

木下作品に対して、リアリズムに徹した今村昌平監督の『楢山節考』、次いで、今村の息子である天願大介監督の『デンデラ』で捨てられた老婆たちの「年寄りはくずではない、人だ」という主張までの流れが書かれます。厳しい現実は変わらなくても、そこで生きる人の意識は刻々と変化します。映画を通して見えてくるのは、そのときそのときの社会全体の価値観、あるいは、それに対する異議申し立てです。

ここでとりあげられている映画は、制作年代も戦後から現在までと幅広く、内容も文芸作品、娯楽作品、社会的な問題をテーマとしたドキュメンタリーなど、さまざまです。見ていない映画があっても、充分に読めますし、生きること老いることを考える手がかりが得られます。また、興味を持った映画を改めて観るのも良いでしょう。

著者の言葉に納得するにしても反発するにしても、読者が漠然と感じていたことを明確にしてくれる指摘や言葉がたくさんあります。その中から、年齢にかかわらず私たちが肝に銘じたい言葉を、最後に、あとがきから引用します。

自立を強調することには、常に強者の論理を強いる危険性が潜んでいる。要求されているのは、老いへの豊かな感受性や想像力と互いに「迷惑をかけあう」関係づくり、生命の相互ケアのしくみである。そうした相互依存の関係やネットワークが、いつでも利用できる状態にあること。それが自立しているということなのである。

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