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【書評53】『親の「ぼけ」に気づいたら』斉藤正彦著, 文春新書

親の「ぼけ」に気づいたら
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認知症という言葉をニュースや新聞記事に取り上げられない日はないといっていいほどです。しかし、それとともに認知症に対する正しい理解が広まっているわけではありません。ほとんどのニュースの内容が不幸なもの、悲惨なものであることも手伝って、何か恐ろしい病気、社会の迷惑というイメージばかりが広がりがちです。

では、今、認知症とは無縁の人たちが、全く無関心かと言えば、そうではないでしょう。高齢の親が少しおかしな言動をすると、誰でも、認知症が始まったのではないかという不安を感じます。中年を過ぎると、自分自身も、うっかりミスを連発してしまったときなどに、もしやと言う思いがよぎります。

まだ認知症と実際に向き合う必要がない人は特に、認知症について、真剣に考えることはないかもしれません。しかしそれでも、思い違いやミスが、加齢による自然な記憶の衰えなのか、認知症の始まりなのか区別がつかないまま、漠然とした不安を抱えたまま過ごしているのではないでしょうか。

著者はその漠然とした不安を、タイトルの「ぼけ」ということばで表しています。ここで本書がタイトルに「ぼけ」という言葉を「あえて」使った理由は「一般の人が家族の精神機能の老化に気づくときは、それが病気なのか、単なる歳のせいなのか区別がつかない」からとしています。

また、厚労省が「痴呆症」に代えて「認知症」という言葉を使うことに決めたのは平成16年(2004年)のことです。本書の出版当時(2005年)は「認知症」という言葉が一般の人に広まっていなかったこと、また、学術用語ではなかったことから、本書の中では「痴呆」という言葉が使われている点には注意も必要です。

本書は、2005年の出版から絶版になることなく、2011年までの6年間に11刷まで増刷を重ねています。それだけ本書の内容が信頼できるということであり、認知症の人の家族に必要とされてきた証拠とも言えるでしょう。また、残念ながら、現在に至るまで認知症の根本治療はない状態ですので、本書の情報は古くなっていません。

著者は、高齢者の精神医療と司法精神医学を専門とする医師です。長く認知症高齢者を診察し、患者とその家族に誠実に寄り添ってきた人です。この著者は、この本で伝えたかったこととして次の2つのことを取り上げています。

1つ目には、認知症の介護は、認知症の人々への一方的な世話ではなく、不運にも認知症の原因となる病気を抱えてしまった、かけがえのない個人の援助だと言うことです。そしてもう1つには、客観的な知識と冷静な観察があれば、科学的に、介護の工夫ができるということです。

本書は、順を追って読めば、認知症のごく初期から徐々に症状が進み、失禁や徘徊の状態を経て最期を迎えるまでが理解できるようになっています。さらに、読みやすさにも配慮して、全体が3つの流れで構成されています。

構成の1つ目は、アルツハイマー病と診断された小さな町工場の社長を主人公にした物語です。堅実に経営し、従業員を守ってきた社長が、会議で突然怒りを爆発させるところから物語が始まります。

2つ目は、この物語の経過に沿った、医学的な解説です。そして3つ目は、前の2つに関わりのある例、著者の関わった患者と家族の話です。この3つの構成のうち、読者が関心があるもの、より読みやすいものを1つだけ選んで読み進めても、おおよその内容が把握できるようになっています。

実は本書の著者は、ある認知症の家族が出版した別の本の解説の中で、すべての認知症が治るかのような内容のマスメディアの報道や書籍への危惧を(丁寧に)述べています。そして、認知症の患者や家族に、むなしい期待を抱かせることの罪を嘆いています。

本書についても、著者はそれを「あくまで1つの意見」として、他の考え方や優れた臨床を参照するように進めています。さらに、本書の巻末には【補足資料ー知っておくと役立つ情報源】として、医療機関、介護施設、相談窓口や参考になる書籍をあげてくれています。

専門家の本には、内容はいいけれども読みにくいというものも少なくありません。しかしこの著者の文章は、読者に配慮されていて、とても読みやすいものです。文章力だけでなく、多くの患者や家族の話に耳を傾け、また自分からも話してきた人の底力を感じます。

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