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本書は、人間が老いることについて考える学問(老年学、加齢学、介護学など)の研究者にとっては、非常に有名な、古典といえるものです。本書は、26歳の若手研究者が、メイクアップ技術を駆使して85歳の老人に変装し、老人の世界を内側から観察した報告書なのです。
もともとは、パット・ムーアによる1979〜1981年の3年間の研究成果が1985年に出版されたものです。これがアメリカでベストセラーとなり、1988年には日本でも翻訳出版されました。本書の意義は、年月が経っても色あせることなく、2005年に日本で再度出版されたものが、今回紹介する本書になります。
2005年の日本語版には、著者であるパット・ムーアが新たに手記を寄せています(p253〜261)。この時点で、当時26歳だったパット・ムーアは、52歳になっています(現在は63歳ということです)。ここでは、あの日変装した自分自身に、現実が近づいているという視点が語られています。
文章もこなれていて読みやすいのですが、残念ながら、この2005年の日本語版も、いまや絶版のようです。それでもぜひ、図書館などで見つけて、一度は読んでおきたい1冊です。
パット・ムーアが、3年間の研究で明らかにした事実は、どれも非常に重要な視点でした。その中で、特に気になったものを3つだけ、以下にまとめて紹介したいと思います。
パット・ムーアは、こともあろうに、老年学の学会の会場に、自分が85歳に見える変装をして突入します。いつもは、社交的で陽気な人々に見える学会の仲間たちでさえ、変装をしたパット・ムーアのことは気にもとめないのです。そのとき、パット・ムーアは、自分が家具や壁紙の一部になったように、無視され、見すごされるという経験をします。学会の会場にいたのは、老年学を専門とする人々です。そうした人々は、高齢者が社会から無視されていることを問題視しています。にもかかわらず、自分たち自身もまた、自分たちが問題視する社会そのものであったというところは、本当に衝撃的です。
高齢者は、不平や不満を言って毎日を過ごしているという印象があるかもしれません。しかし、これは全く正しくないということがわかりました。多くの高齢者は、不安がありながらも楽天的でした。誇らしげに自分の子供や孫のことを話し、ニュースで知った最新技術の可能性について喜びあい、自分に残された時間でできる社会貢献について話し合ったりしています。パット・ムーア自身が、かつて自分も持っていた高齢者に対する悪い印象が、180度変化するということを、この3年間に経験しているのです。
大人は、高齢者に冷たいというのが事実でした。しかし、本書に登場する6歳の少年は、85歳のパット・ムーアに対して、偏見なく、自然な対応ができていました。パット・ムーアは、これを「老人たちが決定的に「自分と違っている」ということを知らないからだ」と考察しています(p218)。こうした経験から、パット・ムーアは、介護職員などの研修においては、友達や仲間に接するように、高齢者にも自然に接することを勧めています。大人は、高齢者と自分の決定的な違いを理解し、それが自分の近未来の姿であることまで認識できるからこそ、それを恐れるのかもしれません。
パット・ムーアの研究は有名になり、パット・ムーアのところには、様々な報告が寄せられるようになりました。そうした報告の中で、パット・ムーアを最も感動させたものがあります。それは、イギリスの看護師から届いたもので、施設で亡くなった老婦人の持ち物から出てきた「詩」です。以下、その「詩」を引用します(スマホで段落がズレて読みにくい時は、スマホを横にして読んでください)。
何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなくて
目をうつろにさまよわせて
食べ物をぼろぼろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても
あなたのしていることに気づかないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたりこれがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見ていないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるがままに起き上がるこの私が
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか私は十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は踊っていました
二十五歳で私は子供を産みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました。夫が死んだのです
先のことを考え ー 不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えましたいま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけでもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心はふくらむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに速く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのですだから目を開けてよ、看護婦さん ー 目を開けて見てください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!
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