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マーケティングの本質【KAIGO LAB SCHOOL 第6回授業】

マーケティングの講義風景

KAIGO LAB SCHOOL は、介護業界で働く若手人材向けのビジネス・スクールです(授業料無料)。理念は「日々の業務課題を高いレベルで解決し、その解決策を介護業界全体に広め、もって介護業界の発展に大きく寄与する人材を輩出する」です。今回は、1期生向け第6回目の講義となる『マーケティング(1)』の様子を報告します。

マーケティングとはなにか?

私たちは、日常的にマーケティングという言葉に接しますが、その定義となると、意外と教わることがありません。定義には様々なものがありますが、講義ではまず、著名な経営学者であるピーター・ドラッカー(Peter Drucker)による定義が紹介されました。それは以下のようなものです。

マーケティングの理想は、 営業を不要にすることである。

ピータードラッカーの定義に従うと、マーケティングが上手くいくということは、商品を顧客に対して「買ってください」とお願い(営業)する必要がなくなるということです。実際には、顧客のほうから「売ってください」とお願いしてくるような、そうした仕組みをつくることがマーケティングということになります。

この仕組みは(1)顧客を連れてくる(2)買いたい気持ちにさせる、という2つの要素に分解することができます。(1)連れてくるための具体的な方法(2)買いたい気持ちにさせるための具体的な方法については、次回の『マーケティング(2)』の講義の内容となります。

今回は、具体的な方法に入る前に、どうしても理解しておくべきことについて、講義の時間をとりました。生徒は、この講義によって、マーケティングの面白さだけでなく、その背景にある怖さについても、少し戸惑いつつ、理解を深められたと思います。

マーケティングは、とても怖いということ

マーケティングをより広い意味で定義すると、とても怖い面が見えてきます。マーケティングは、様々な手法を駆使して、他者をこちらの都合のよい方向(商品を買いたくなる方向)に動かすということです。すると、以下のような定義をすることも可能になります。

他者を、相手にそれと悟られずに、自分の思った方向に動かす活動のこと。

プロパガンダという言葉があります。一般には「特定の政治的な思想についての宣伝」という意味です。プロパガンダには、しばしば誇張や嘘が含まれるため、ネガティブな意味の言葉として理解している人も多いでしょう。

たとえば、フランス革命の中で刑死(1793年)させられた王妃マリー・アントワネットは、飢える民衆の話を聞いて「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない(Qu’ils mangent de la brioche)」と発言したことになっています。しかし、マリー・アントワネットが、このような発言をしたという事実はありません。

歴史の教科書にも載っているような言葉が、そもそも、政治的にフランス王家を破壊するための作られたプロパガンダ(デマ)なのです。フランス革命を狙っていた勢力が、民衆にそれと悟られずに、革命が必要だと思わせ、革命に向かわせる活動が、この背景にはあったわけです。

このように、マーケティングを学んでいない人は、本当に効果の高いマーケティングの事例を挙げることができません。なぜなら、本当に効果の高いマーケティングは、相手に、それがマーケティングであると悟られないからです。

プロパガンダの語源とその背景

プロパガンダ(propaganda)とは、本来はラテン語で「種をまく」という意味の言葉です。実際には、17世紀に設立された、カトリックの宣教師を育てる機関に「プロパガンダ大学」という名前が付けられていたことから、広まった言葉です。

プロパガンダとは、宗教を広める立場にある宣教師が、効果的な布教活動の方法を学ぶ場の名前だったのです。そう考えると、マーケティングというのは、実は、宗教の布教活動として、長い歴史を持っているということが見えてきます。その中身は、自分たちの宗教に関心を持たせ、入信したくなるような仕組みの構築です。

宗教の布教活動においては、成果を出すために、人間の価値観レベルに訴えかける必要があります。そこで培われた方法論が、マーケティングとして、現代的な形に整えられたと考えれば、マーケティングの怖さもまた感じられるでしょう。今一度、マーケティングの広い定義を以下に示します。

他者を、相手にそれと悟られずに、自分の思った方向に動かす活動のこと。

こうして認識してみれば、マーケティングは、使い方を間違えたら、この社会を転覆させるだけのネガティブな力を持っていることは明白です。先の、舛添要一(元)知事の失脚におけるネガティブ・キャンペーンなども、その一例かもしれません。あれで、誰が得をしたのか、よく考えてみる必要があります。

マーケティングには倫理が必要

レーダーに映らない戦闘機などの兵器のことを、ステルス兵器と言います。マーケティングの世界にも「ステルス・マーケティング」という言葉があります。そして私たちは、日常的に、この「ステルス・マーケティング」を仕掛けられているのです。

相手にそれと気づかれないことが、そもそも、マーケティングの定義だという点は、強調してもしつくせないところです。まずは、自分自身が、見知らぬ誰かに操られないように、マーケティングの知識をつける必要があります。

同時に、自分がマーケティングの手法を用いるときは、それが本当に相手のためになることなのか、何度も、多角的に考える必要があるでしょう。その意味では、マーケティングはリーダーシップとセットで学ばないと、本当に危険なのです。

場合によっては、それがマーケティングであることを、きちんと相手に伝えることも大事になってきます。とにかく、そこに、きちんとした倫理がなければ、マーケティングを使う人は、簡単にダークサイドに落ちてしまいます。

テクニックとしてだけのマーケティングを使っている人は、自分がダークサイドにいても、それに気づけません。それ自体も、誰かのマーケティングなのです。だからこそ、マーケティングを学ぶときは、テクニックよりもむしろ、倫理について学ぶことを排除してはならないのです。

誰かのマーケティングから自由であるためには

マーケティングが狙ってくるのは、自己重要感の飢えです。誰もが、自分の存在が、この社会にとって重要なものであることを望んでいます。しかし、この社会には、そうした重要な地位は、人数分確保されてはいません。そこで、自己重要感の飢えが生じてしまうのです。

逆に言えば、私たちは、自分のことを高く評価してくれる対象を強く求めています。また、自分の重要性を高めてくれるような機会を求めています。多くのマーケティングが、ここを狙ってきます。ですから、マーケティングの手法の根源的なところは、お世辞と活躍の場を与えることでできています。

すでに、この社会で活躍している人には、マーケティングは(あまり)有効ではない理由も、ここにあります。自己重要感が満たされていない人が、マーケティングに引っかかりやすいのですから。

そう考えると、自分が誰かのマーケティングから自由であるためには、誰かに認めてもらいたいという気持ちから自由になる必要があるということです。そのためには、深く愛する対象を持っていたり、誰かに深く愛されていたりといったことが必要です。

つまり、マーケティングが成立してしまうのは、社会に愛が足りていないときなのです。なんとも皮肉な話なのですが、マーケティングが人々に届けるのは「愛の代替品」であって、愛そのものではなかったりします。

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