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リーダーシップの本質【KAIGO LAB SCHOOL 第5回授業】

リーダーシップの講義風景

KAIGO LAB SCHOOL は、介護業界で働く若手人材向けのビジネス・スクールです(授業料無料)。理念は「日々の業務課題を高いレベルで解決し、その解決策を介護業界全体に広め、もって介護業界の発展に大きく寄与する人材を輩出する」です。今回は、1期生向け第5回目の講義となる『リーダーシップ』の様子を報告します。

リーダーシップの研究史

人類が、リーダーシップの重要性に気づき、その「あるべき姿」についての研究を開始したのは、かなり昔のことです。文献としては、ヘロドトスの『歴史』やプラトンの『国家』、孔子の『論語』やプルタークの『英雄伝』といったあたりが、リーダーシップ研究のルーツとされることが多いようです。

より科学的なリーダーシップ研究としては、1900年代初頭以降、人間の知能指数を測定することができるようになってからになります。当時は、リーダーシップを発揮できる人とそうでない人の差を、知能指数はもちろん、身長や体重まで含めて多角的に調査するというアプローチが取られました。しかし、調査結果が積み上がるにつれ「資質によってリーダーを特定することはできない」という結論になったのです。

第二次大戦後(1950年代以降)は、研究者たちは「優れたリーダーが共通して見せる行動(コンピテンシー)」に着目しました。ここでは、業績や課題に取り組むときのリーダーの姿や、フォロアーへの配慮(対人関係)をみせるリーダーの姿などが調査されています。こうした研究から、優れたリーダーにいくつかの型が見いだされました。

1960年代以降になると、優れたリーダーの定義は状況によって異なるという「コンティンジェンシー理論」へと移ります。ここでわかったのは、状況は変化するのだから、優れたリーダーも変化するという「あたりまえ」のことでした。そして、そもそも「リーダーとは何か」という部分について、研究者たちの広い合意には至らず、リーダーシップという概念自体が、大きく混乱することになったのです。

現代において、リーダーシップといっても、人によってその定義がかなり異なるのは、背景として、このような研究史があるからです。モヤモヤしますが、結局「自分が喜んでついていきたいリーダーとは?」という質問への答えが、その人にとってのリーダーシップの定義ということになります。

クラス討議によって、自分のリーダーシップの定義に気づく

このリーダーシップの研究史を受けて、クラスでも「自分が喜んでついていきたいリーダー」について、討議が行われました。そこで確認されたのは、自分が考えるリーダーの定義と全く同じ定義を共有している人は、まずいないという事実でした。それぞれの定義には、それぞれの根拠となる経験があります。その経験が異なる以上、これは当然のことでもあります。

その上で、普段の自分の行動が、自分のリーダーシップの定義とずれているという事実について確認をしました。自分の行動が、自分の理想とするリーダー像から離れているとき、私たちは、そうした日常に「むなしさ」や「あせり」を感じます。

そして「こんな生きかたでよいはずがない」という自分自身のありかたへの怒りが、リーダーシップの源泉となっていきます。「ただ一度の人生を、どのように生きていきたいのか」という問いに答えるように行動すること(自分らしくあること)が、その人だけのリーダーシップなのです。

この点において、介護業界にいる人々は自覚的です。介護業界で働いていると、多くの利用者(要介護者)の死に触れることになるからです。実は、死に近づいた人間は、自分の人生を振り返り、残された人生をより自分らしく生きようとします。このような人間の晩年の姿をたくさん見ている介護業界にいる人々は、リーダーシップの重要性を、直感的にも認識していることが多いようです。

死に近づいた人間のごとく、自分らしくあろうとすることが、リーダーシップにつながっていきます。しかしそれを、死から遠い日常の中で発揮することは、簡単なことではありません。それでも、ありたい自分と現実の自分のギャップに気づくことからしか、リーダーシップへの旅ははじまらないのです。

授業ではさらに、神戸大学の金井壽宏先生の理論に従って、リーダーシップの学習方法についても学びました。ここでは、ありたい自分の姿そのものを変化させる方法についても、議論を行っています。また当然ですが、リーダーシップの学習には、その実践による経験の獲得が欠かせませんので、実践における注意点にも言及しました。

リーダーシップの本質

リーダーシップを発揮している人が、あまり例外なく、わがままな子供のように見えるのはどうしてでしょう。即興演劇の世界で名のあるキース・ジョンストンは、この点について大きなヒントとなる言葉を発しています。

この世界は、子供のことを「未成熟な大人」として認識しています。ですから、子供は教育され、大人にならなければならないという常識が形成されています。当然ですが、ここには、子供よりも大人のほうが優れた存在であるという前提があります。

しかし、キース・ジョンストンは、これを全く逆に考えています。すなわち「大人とは、委縮した子供である」というのです。

人間は、子供のころは、自分自身の欲求に敏感で、できるだけ自分らしく振舞います。しかし教育を受け、年齢も上になってくると、自らを客観的にとらえ、大人として振る舞うことを学びます。これは、社会の圧力に「萎縮」しつつ、自分自身から離れるということです。

優れたリーダーシップを発揮している人たちは、決まって「他人からどう見られるか」ということを気にしていません。つまり「委縮」していないということです。そのかわり、こうした人たちは、自分の価値観に対して非常に強い忠誠心を持っています。自らの内なる声に敏感で、自分の価値観どおりに行動しようとするのです。

このように「萎縮」していない強い思いというのは、別の言い方をすれば、世界の「あるべき姿」のビジョンです。これが強くあると、今ある世界が不完全なものに見え、そこに怒りを感じます。世界を前に進めるのは、このような「委縮していない、怒っている子供」、すなわちリーダーであると考えています。

※参考文献
・酒井 穣, 『リーダーシップでいちばん大切なこと』, 日本能率協会マネジメントセンター (2011/3/16)
・酒井 穣, 『突き抜けた人は、どうしてみんな子供なんだろう?』, NED-WLT, 2011-07-02

編集後記

第5回となる講義が行われた当日は、KAIGO LAB SCHOOL について、メディアからの取材を3件受けました。それぞれ違った視点からの質問となり、非常に有意義でした。これらの取材が記事にされたら、KAIGO LAB でも少しご報告します。なお、取材として授業に参加してもらった記者は、将来、KAIGO LAB SCHOOLの生徒になることを検討するそうです。KAIGO LAB SCHOOL の活動に関する、各方面からのお問い合わせ、お待ちしております。

KAIGOLABの最新情報をお届けします。

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