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自己責任が、国を破壊する近未来(杉並区の保育所設置問題から見える未来)

自己責任が、国を破壊する近未来

杉並区の保育所設置問題から見える未来

東京都杉並区で、公園の一部(敷地面積の1/3程度)を保育所にしたいとする杉並区の意見に対して、地元住民が反対をし、およそ6時間もの議論になったようです。このときの報道(ANN NEWSなど)によれば、杉並区では、来年は560人以上が待機児童となってしまうようです。

小さな子供を抱えている親としては、もはや、杉並区には住んでいられないという状況になるわけです。この解決策が、地元住民によって否定されたということです。

非常に悲しいことです。当然のように、この地元住民の対応は、ネットなどで広く批判されています。しかし、こうしたことがあった場合、その原因を個人の特性に求めるのは間違っています。どうして、こういう悲しい方向に人々が向かってしまうのか、その背景を考えるべきでしょう。

自己責任とは、全体のために犠牲になる個人がいなくなること

現代の日本には、自己責任という言葉が常識として浸透してしまっています。これは、自分の人生が大変なことになってしまった場合、誰にも頼ることはできず、自分の責任として泣き寝入りするしかないという概念です。

自宅の近くに保育所ができれば、騒音問題が生まれ、自宅付近の地価が下がる可能性があるでしょう。老後、老人ホームに入ろうとすれば、相当なお金がかかります。そのときに、自宅を売却してお金を作ろうとしても、地価が下がっていたら、困ってしまいます。

「日本の未来のためには、少しくらい我慢すべきだ」と言う人は、こうして困っている老人にお金をくれるのでしょうか。くれませんね。むしろ、自己責任ということで、こうした老人は無視されることになります。

誰だって、待機児童問題の解決が重要であることは理解できます。しかし、その解決のために、自分が犠牲になることは、自己責任が叫ばれる社会では、難しいのです。そもそも、日本人の過半数は、老後のための貯蓄が足りていない状況にあって、他者のことなど、気にかけていられません。

自己責任が強く求められる社会では、全体のために犠牲になる個人はいなくなります。杉並区の保育所問題が明らかにしたのは、地元住民がひどいということではなくて、自己責任が求められる社会の限界なのです。

自己責任が、日本の未来を破壊しつつある

まず、社会福祉のための財源確保のために増税しようとすると、政治的には負けます。消費税を閣議決定した大平内閣(1979年)は、総選挙中に消費税を断念したにも関わらず、大幅に議席を減らしました。消費税を実現した竹下内閣(1989年)は、その直後に退陣することになりました。

これを逆手にとって、民主党は4年間は消費税を上げないことを公約とし、鳩山内閣(2009年)を発足させました。その後、菅内閣(2010年)は、消費税10%をかかげ、選挙にて惨敗します。野田内閣(2012年)は、消費税を2014年に8%、2015年に10%に引き上げる法案を出し、結果として政権を自民党に明け渡すことになりました。

政治的には、社会福祉のための財源であっても、増税をすると負けることが明らかになっています。政治家であっても、人間です。自分が選挙で負けてしまえば、生活が成り立たない人も多くいます。それも自己責任となると、増税は非常に難しいということになります。仮にできたとしても、非常にゆっくりとした速度になり、2025年問題には間に合わないでしょう。

多数派になりつつある高齢者からしても、増税する政権を支持してしまうと、ただでさえ足りない貯蓄がさらに危なくなります。自己責任と言われるなら、増税する政党ではなく、バラマキをする政党を支持するしかないでしょう。仕方がありません。

企業はどうでしょうか。シャープのように外資の傘下となり、多数の従業員がリストラされても、この社会は自己責任で片付けてしまいます。すると、内部留保を増やし、タックス・ヘイブンをフル活用して、生き残りに向かうでしょう。それも仕方のないことです。

就職活動を考える学生は、どう動くでしょう。自己責任と責められるのを避けるには、低リスクに生きないと怖すぎます。そうなると、公務員が最高です。当たり前ですが、公務員の給与を生み出しているのは、リスクのある案件に投資する民間企業です。しかし、優秀な学生は公務員を目指し、民間企業にはあまり来ないという流れができてしまっています。公務員は、ノーリスク、ハイリターンなのですから、当然でしょう。

では、公務員の給与を下げることで、社会福祉の財源確保をするというのはどうでしょうか。この決断ができるのは政治家だけですが、それを決断する政治家は、公務員からの支持が得られなくなります。公務員も、自己責任を求められたら、わざわざ自分の給与を減らすような政治家を応援することはできません。

こうして日本の社会福祉はダメになっていくので、子供を産み育てることにお金をかけて、自らの老後を危険にさらすような選択をする人は減っていきます。もう一人子供が欲しいと思っても、怖くて産めません。これが少子化を進め、将来の日本を担う人口を減らし、日本の経済はますます悪くなっていきます。

自己責任の社会では、解決策の立案は簡単でも、その実行はできない

本当は、社会福祉財源の確保のために、公務員の給与を減らし、増税すればよいだけなのです。そこで確保される財源によって、フランスのように手厚い子育て支援を行い、出生率を高められます。こうして生まれてくる子供は、将来の納税者です。これで、高齢者福祉も、手厚くしていくことができます。

この解決策の立案は、中学生でも思いつけるほどに簡単です。しかし、先に見たとおり、自己責任が求められる社会では、この簡単すぎる解決策の実行は、事実上不可能なのです。実は、この解決策が実行できたとしても、少子化対策はタイミングを逸しており、手遅れだったりします。

自己責任の大合唱をやめて、いまから日本の将来のためにとるべき対策を実行しても、十分な子供の数を確保することはできません。すでに遅すぎるということです。将棋で言えば、残念ですが、日本の将来は「もはや詰んでいる」ということです。

杉並区の事件は、起こりつつある未来のカケラにすぎない

すでに日銀が(財政法第5条に違反して)国債を大量に引き受けはじめています。これは、実質的には、日銀がお金をどんどん増やしているということです。こうしてお金を増やさないと、社会福祉の財源が確保できないからです。自己責任の社会では、他に手がありません。

しかし、お金がどんどん増えれば、お金の価値は下がります。そうなると、これまで100円で買えていたものが、200円、300円となっていきます。貯蓄があっても、その貯蓄で買えるものは減っていきます。同じ給与で、買えるものも減っていきます。これが、インフレになるということです。

インフレになっても、自己責任の社会では、給与はそうそう増やされないでしょう。それでも、社会福祉はよくて現状維持であり、実際には悪化していきます。多くの人の生活は極端に悪くなり、経済も縮小するので失業率が上がり、路頭に迷う人も増えることになります。

そうなってもなお、杉並区の事件に見るように、誰かのために、自分を犠牲にするようなことは起こりません。自己責任という概念の浸透によって、国は破綻していくのです。ここまでの未来は、見えてしまっています。

建設的な議論をするのであれば、テーマとすべきなのは、もはや、この恐ろしい未来を避けるための方法ではありません。歴史に登場する偉大な文明が、なぜ崩壊したのか、これからの日本は、身をもって経験していくことになります。歴史は繰り返すのです。

現在は、こうした未来が到来することを前提として、その焼け野原からの脱却に関する議論が必要な段階にきています。そして、その議論における中心的なテーマとなるのは、極端な自己責任社会からの脱却になるでしょう。

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