閉じる

介護をめぐる殺人事件の加害者にならないために。加害者を少しでも減らすために。

社会的孤立

介護をめぐる悲惨な事件が増えている

ニュースなどで取り上げらるケースだけでも、介護をめぐる悲惨な事件(殺人や心中)が増えていることがわかります。今後、超高齢化社会に突入するにあたって、こうした事件が増えてしまうことを、なんとか防止していく必要があるでしょう。

大事な視点は、こうした事件を起こしてしまうのは、特別な悪人だからということではなくて、普通の人が一線を超えてしまうというところです。私たち自身にも、危険があるという認識であたらないと、本当の怖さが見えてきません。

こうした問題意識をもって、研究者たちは、様々な調査・分析を行っています。今回は、そうした成果の中でも広く参照されている報告(湯原, 2011年)から、私たち自身が加害者となってしまわないための条件について、そして加害者を減らすための施策について、抜き出しながら考えてみます。

事件に至ってしまう流れ

加害者が、重大な事件を起こしてしまうほどに追い詰められた背景は、認知症を含む、深刻な要介護状態(認定度合いが高い)を在宅で介護しているという点です。そこに、介護者自身の不眠、食欲不振、うつ病、体調の悪化が重なり、さらに経済的困窮がかぶさるといった、困難の多重構造がみられます。

そうした環境で、要介護者が、自らの将来を悲観し「死にたい」「迷惑をかけて申し訳なく思っている」「生きていてもしょうがない」「いっそ殺してほしい」といった発言をしています。要介護者も、うつ病を発症していることもあります。

こうしたとき、介護者は、なんとか「頑張って生きていこう」「そんなことを言ってはダメだ」といった励ましをしたりしています。いきなり事件が起こったりはせず、加害者も大きな苦悩の中で、なんとか思い留まろうとしているのです。

しかし、こうした介護者に、先に示したような困難の多重構造がのしかかると、あるとき、ふと、要介護者のネガティブな発言を受けても、それを押し返すだけの気力が失われてしまう瞬間があります。そして事件に至ってしまうようなのです。

加害者の思考に見られる特徴

加害者の思考としては、9つの特徴が見られます。「生きていてもしかたがない」「要介護者が不憫」「要介護者を楽にしてあげたい」「要介護者も死を望んでいる」「要介護者への怒りと悲しみ」「介護から解放されたい」「現実から逃げ出したい」「介護者を楽にしてあげたい」「要介護者に 自分の言うことを聞いてほしい」「介護を他の人に任せられない」というものです。

周囲で、こうした発言に出会うことがあれば注意が必要です。また、自分自身がこうした思考に至ってしまっているなら、誰かの助けが必要です。しかし、加害者となってしまう人は、このとき、周囲に(あまり)助けを求めないようなのです。

真面目で一生懸命、自分の責任を大きく考え、自分でなんとかすべきだと思い込んでしまうような、むしろ善人と言えるような人のほうが危ないのかもしれません。

どうして周囲に助けを求められなかったのか

これは6つに分類できています。「実際に頼れる人がいなかった」「頼るべき親族はいるが現実に頼れなかった」「親族に相談したが状況は改善しなかった」「外部の相談機関や施設に相談したがうまくいかなかった」「誰も頼れないと思い込んだ」「子どもに迷惑をかけたくなかった」というものです。

なんとか頼ろうとしても、気力も失われているということもあります。さらに、SOSを出していても、それが受け入れられないこともあるようです。ここに至ってしまうと、危険度が高まりますが、それでもなお、思いとどまるケースがあります。

ギリギリで思いとどまることができた人のきっかけ

最悪の状態でも、ギリギリで加害者になることを思いとどまるケースもあります。そのときのきっかけは、6つに分類できています。「要介護者の生きる意思に気づいた」「大切な人の存在が頭をよぎった」「病気になる前の要介護者を思い出した」「親族以外の人からの支えがあった」「人に迷惑をかけてはならないという気持ち」「自分を大切にしようと思う気持ち」です。

この中に「親族以外の人からの支えがあった」という部分に注目したいです。ここだけが、ギリギリの状態にある介護者を加害者にしてしまわないために、社会が働きかけることができる部分だからです。

具体的には「ケアマネジャーさんから連絡があって病院に行き、先生に診ていただき、2時間ほど話を聞いていただきました」「『一生懸命にならず開き直りなさい』という言葉に、雷に打たれたような衝撃をうけた」「たまたま日曜日だったこともあり、教会をのぞくと“祈る人々の姿”があった。そうだ、日本にもお寺があると思った。…お寺にお参りしていると、ご住職様のご法話が身にしみた」といったものです。

しかし、介護というのは、それに関わると自分の時間を取られてしまうものです。これにより、介護に関わる前の人間関係は希薄になります。そして、要介護者の面倒をみるために外出も減ります。結果として、社会的に孤立してしまうのです。

私たちは、なにをしなければならないのか

自分の周囲で介護に関わる人というのは、少なからずいると思います。その上で、自分も介護をしていると、他者のことなどかまっている余裕もなくなるかもしれません。しかし、他者のことに首を突っ込むということは、結果として、自分も孤立しないということでもあります。

今、介護をしている人ほど、他の介護をしている人とつながる必要があると思います。また、自分も介護に関わっているからこそ、他の人の介護の苦しみにも共感することができるという面もあるでしょう。認知症カフェなど、そうした場も増えてきています。

誰もが加害者になりえるなら、結局、誰かを支援することが、自分を救うことにもなるということです。簡単なことではないと思いますが、社会のほうから、助けにきてくれるということは、そうそう期待できません。であるならば、自分自身が社会的な孤立を避けるためにも、孤立してしまっている人に声をかけることが大事なのだと思います。

※参考文献
・湯原悦子, 『介護殺人の現状から見出せる介護者支援の課題』, 日本社会福祉大学社会福祉論集, 第125号(2011年)

KAIGOLABの最新情報をお届けします。

この記事についてのタグリスト

PR