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介護離職は(必ずしも)親孝行ではない。

介護離職は親孝行ではない

介護離職は、必ずしも悪いことではないけれど・・・

自分が、親の介護を直接的に行っていて、また、仕事でも忙しくしている介護者(家族/息子・娘)もいます。そうした家族と、日常的に接するある介護職の方にお話を聞く機会がありました。

まず彼は、一人の介護職としては「介護離職は、必ずしも悪いことではない」と言います。介護をしている家族は、それぞれ事情がかなり異なるため、どうしても離職せざるをえないケースもあります。仕方のないことに、良いも悪いもないのです。

しかし、介護職として、多数の家族を観察する中で「それで仕事を辞めるのはおかしい」と感じることもあるそうです。このケースに共通するのは「親孝行」という言葉です。彼は、この言葉には、自他ともに介護離職を正当化するだけの「魔力」があると言います。

「親孝行をするために、介護に専念したい」といい、仕事を辞める家族がいます。周囲も、そう言われたら否定しにくいです。そうして介護離職した家族は、はじめのうちは、この決断に満足しているように見えます。しかしそれは、時間とともに変わっていくのです。

「親孝行」とはなんだろうか?

そもそも「親孝行」の「孝」とは、儒教の根本をなす「子供は、親に忠実に従うべし」という思想です。古代の人類が持っていた祖先崇拝(先祖を神とすること)が発展し、血族の中でも「年上を絶対的に敬う」という方向性を受け継いで、発展したと考えられています。

現代社会において、そのまま「子供は、親に忠実に従うべし」「年上を絶対的に敬う」というルールを守るべきだという人は少ないでしょう。ただ、こうした考え方は、現代の日本にも色濃く影響を及ぼしている点は疑えません。

より現代的な「親孝行」を考えるのであれば「自分が親だったら、自分の子供に、本当にしてもらいたいことをする」ということでしょう。

もちろん、一人で寂しい思いをするよりは、近くに子供がいてくれたほうが嬉しいというのは親の本音です。しかし、子供が、自分の介護を理由にして、キャリアをダメにしてしまうことまで望むでしょうか。子供の人生に迷惑をかけてしまうことを、嬉しいと感じるでしょうか。

毒親でもない限り、それは「行き過ぎ」だと感じるのが親です。もしかしたら「親孝行」の「魔力」を求めているのは、親ではなくて、自らの介護離職を正当化したい家族なのかもしれないのです。

「親孝行」を理由に介護離職した家族のその後

誰でも、一人で寂しく暮らしている親の姿を見れば、心が動きます。そうした親を見たときに「親孝行をするために、介護に専念したい」と思わない家族はいません。しかし、このときに注意すべきなのは、介護に専念するとはどういうことかを、どこまで想像できているかです。

介護は、数年では終わりません。覚悟として10年は考えておくべきです。そうした長期間の介護を、本当にイメージできているでしょうか。少なくとも、経済的に、10年という期間を「無収入」で生きていけるのかは見積もりをすべきでしょう。

「親孝行をしたい」という気持ちは、大事かもしれません。しかし、生物学的には、こうした利他的な行動は「ハミルトンの規則」に従っています。利他的な行動は、無制限に行えるものではなくて、限度があります。介護の場合は、こうした気持ちは、時間とともに減っていくのが自然なのです。

「親孝行をするために、介護に専念したい」という気持ちは、数年で消えます。お金も足りなくなります。しかし、そうなってからビジネスの現場に戻りたいと思っても、難しいのが普通です。戻れたとしても、収入は半減(男性は4割減、女性は半減)し、さらに正社員にはなりにくいというデータもあります。

もちろん、例外もあります。特に、親の看取りの場面であったり、残された時間があまりない場合などが典型です。むしろ、介護に専念しなかったことを後悔することもあります。ケース・バイ・ケースであることは、あらためて強調しておきたいです。

介護離職と「親孝行」を結びつけて考えないこと

まず、介護離職をしないで、仕事と介護を両立させている家族は、それで「親不孝」ということにはならないでしょう。同様に、介護離職をしたからといって、それが「親孝行」になるわけではありません。

「親孝行」と考えて介護離職をしても、そうした気持ちは、時間とともに減っていきます。すると、喧嘩も増え、親との関係はギスギスしていきます。では、いまいちど仕事をはじめようとしても、条件はずっと悪くなってしまっています。そして、追い詰められてしまうこともあります。

人間は、ただ利他的なだけでなく、利己的なところもあります。自分の人生をしっかりと前に進みたいという感情も自然なのです。それをずっと我慢して、親のためにだけ、ずっと利他的に生きられる人は(生物学的にみれば)いません。

人間にとって、仕事とは、ただ生活の糧を稼ぐための手段ではありません。仕事を通して社会とつながり、成功や失敗を通して成長し、人間社会を前に進める一助として誇りを獲得していく大切な営みです。

親が望んでいるのは、家族の幸せです。同時に、家族との関係性が良好であり、お互いに気遣いをしていければ最高です。もちろん、寂しいのは嫌です。しかし、子供に仕事をあきらめさせてまで、自分の介護をさせたいと思う親は、決して多くはないはずです。

人類史は、子供のために犠牲になってきた親の愛でできています。この逆で、親のために子供が犠牲になるのが本当に当たり前なら、人類はとっくの昔に滅んでいます。私たちの人生そのものが、こうした多くの犠牲の上にできています。私たちには、そうした犠牲に見合うだけの幸せな人生をおくる「義務」があることを忘れるべきではないでしょう。

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