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家族と介護職(介護のプロ)の間に生まれる「利害の対立」について

家族と介護職の対立

家族は、少しでも自分たちの自由を確保しようとします。これに対して、介護職は利用者(要介護者)のことを第一に考え、家族にも負担を強いることが普通です。ここには「利害の対立」が生まれます。しかし、こうした「利害の対立」は、人間社会においては、健全であたりまえのことです。その点を踏まえた上で、お互いに仲良く介護を進めるために認識しておくべきことを考えてみました。

介護のプロに対して文句をいう家族は多い

介護をしている家族の人と話をすると、介護職(介護のプロ)に対する文句は、意外と多く出ます。あくまでも主観ですが、一番多い文句は「家族に対して無理なことを押し付けようとする」というものです。

この理由は簡単で、介護職は、利用者(要介護者)のことを第一に考えているからです。これは、医師や看護師といった医療従事者でも同じですね。医師や看護師も、患者(要介護者)のことを第一に考えてアドバイスをする存在です。

自分が要介護者になったと想像してみてください。このように、介護職や医療従事者が、自分のことを第一に考えてくれることは、とてもありがたいことでしょう。要介護者になると、家族からも邪魔者扱いされることもあり、こうした介護職や医療従事者がいないと、孤立してしまいます。

この世の中は「利害の対立」でできている

要介護者にとって理想の状態を作ろうとすれば、家族の人生が犠牲になります。しかし家族の人生を優先しすぎると、要介護者は、最悪、捨てられてしまうのです。ここには、様々な妥協の入ったバランスが求められるでしょう。

実は、こうした「利害の対立」は、なにも家族と介護職の間にだけ存在していることではありません。むしろ、この社会全体が「利害の対立」によってできています。

たとえば、売り手と顧客の関係も「利害の対立」です。売り手としては、できるだけ安く作ったものを高く売りたいと考えています。しかし顧客は、最高品質のものを最低価格で入手したいと考えているのですから。

この社会では、多くの人々が自らの利益を求め、それをぶつからせ(交渉)、落とし所(バランス)を見つけるということが日々なされています。これは疲れることですが、結果として、今の秩序が保たれているわけです。

「利害の対立」から逃げないことは健全なこと

特に欧米では、きちんと自分の立場を主張して「利害の対立」を起こし、議論と交渉によって、お互いにとって妥協できるポイントを探るということは健全な大人の条件とされることが多いです。それこそ、小学生のころから「利害の対立」から逃げず、きちんと自己主張することを学びます。

しかし日本では、相手の立場にたって、はじめから「利害の対立」を小さなものにする提案が求められたりします。「和」を重んじるため「利害の対立」を避けようとする文化があるのでしょう。

誤解を避けるために付け加えますが、これはなにも、欧米のほうが日本よりも優れていると言いたいわけではありません。そうではなくて、日本人は「利害の対立」を議論や交渉によってバランスさせるということが苦手だというだけのことです。

家族と介護職の「利害の対立」について

ただ、苦手だからということで、この「利害の対立」から逃げることはできません。さもないと、弱者が犠牲になる社会が出来上がってしまうからです。家族と介護職の間に生まれる「利害の対立」も、もちろん、その一つです。

家族としては、介護の犠牲になりすぎないような妥協点を示す必要があるでしょう。介護職としても、要介護者が放置されてしまわないように主張しなければなりません。ただ、この結果として対立させるのは「利害」であって「関係性」ではないという点には特に注意が必要です。

繰り返しになりますが「利害の対立」は健全であたりまえのことです。そんな、あたりまえのことを進めるために、いちいち「関係性」を壊していたら、介護はできません。

私たちは、意見がぶつかり合うのは当然という意識で、お互いに、よりよい介護のために出来ることを調整していくという態度を学んでいかないとならないのです。そして、どんなにぶつかり合っても、仲良くしていられるというところまで行けたら、日本の介護は大きく変わると信じています。

まとめ

・家族と介護職の間には「利害の対立」がある
・人間社会にとって「利害の対立」は健全であたりまえのこと
・対立させるのは「利害」であって「関係性」ではない
・家族も介護職も、意見がぶつかり合うのは当然という意識を持つ必要がある
・その上で、お互いに仲良くあれる方法を模索するべき

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