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ムンテラとインフォームドコンセントの違いについて

インフォームドコンセントとムンテラの違い

ムンテラ(Mund Therapie)とそのディープな背景

ドイツ語の「Mund(口)」と「Therapie(治療)」からなる言葉で、日本では「ムンテラ(Mund Therapie)」と略されています。表面的には「医師から患者への病状の説明」といった意味で認識されていますが、実際にはもう少し深い背景があります。

医師が、患者に対して病状を説明するときのことを想像してみましょう。医師は、病気のプロです。ですから患者に病状を説明するとき、本音では、自分のほうが病気について詳しいし、自分の考える治療方針に従ってもらいたいと考えています。

ですから医師が「ムンテラ」を行うときは、頭の中には、患者を説得する落としどころがあるわけです。病気に関して、必要最小限のことを、相手の知力に合わせてわかりやすく説明し、患者には、医師の考える治療法が最善であると言えるロジックを伝えます。

熟練の医師であれば「ムンテラ」においては、重い病気であっても、患者を怖がらせることなく、患者から治療法への納得感を得ることができます。患者としても「すべてお任せします」という気持ちになります。結果として、治療はスムーズに、もめることなく進みます。

しかし、日本の医療は、1990年代後半ごろから、置かれている環境が変わりはじめます。医師の治療法をめぐって訴訟が起こされるようになり、医師が治療方針を主導してきた時代が終わりました。医師としても、自分が治療方針の決定をしてしまって、それで結果が悪ければ、訴えられて負けてしまいます。

医師が抱えている訴訟リスクは相当なもので、少なからぬ医師は、医師賠償責任保険(医賠責)に入っています。そして多くの医師は、訴訟を恐れています。しかしそれは、賠償金を支払うことが怖いのではありません。病気と闘う、患者のために仕事をするという、本来の医師としての時間が訴訟に取られてしまうことが死ぬほど嫌なのです。

ですから、昔ながらの「ムンテラ」の時代は、表面的には終わっています。医師は、いまでも、できれば「ムンテラ」で済ませたいという本音は持っています。優秀な医師であれば、多くの患者にとっては「ムンテラ」のほうが助かります。しかし、訴訟リスクが、それを許さなくなってきています。

そうなると、要領のよい医師は、患者やその家族を慎重に観察して、訴訟リスクを値踏みします。訴訟リスクが低いと見れば「ムンテラ」で済ませます。しかし、訴訟リスクが高いと見れば、別の方法をとらなくてはなりません。

インフォームドコンセント(Informed Consent)という理想と現実

「ムンテラ」には、医師がやりたいように治療を行っていくための患者の説得としての意味があります。しかし、そうした方法を取っていたら、治療の結果が悪かったときに訴訟となり、負けてしまいます。また、やはり全ての医師が優秀というわけでもないので、患者からすれば「ムンテラ」だけでは不安です。

そこで「医師は、患者に対して病気に関する情報を提供し、患者が治療方針を決める」という必要性が出てきています。病名や病状に関する情報にとどまらず、期待される効果や治療の成功率、治療にかかる費用、治療のあとにどのような後遺症が残る可能性があるか、副作用といったことが、この具体的な内容になります。この考え方を特に「インフォームドコンセント(Informed Consent)」と言います。

実際に、医師の中にはひどい医師もいて、訴訟を起こされて当然というケースもあります。ですから「インフォームドコンセント」は、その表面だけを見ると、医師からしても患者からしても理想的なように思われます。「患者中心主義」といえば、聞こえも良いです。

しかし、そもそも病気に対して素人である患者が、こうした説明を正確に理解することは困難です。さらに、病院に行けば明らかなとおり、医師には時間がありません。医師が、病気と闘うための限られた時間の中で、これだけ厚みのある説明を、すべての患者に対してわかりやすく行うというのは、実質的に不可能です。

こうした背景から、少なからぬ医師は「訴訟上等」とシラケています。医師としても、もちろん理想はわかるけれど、現実的ではないと感じています。しかし、マスコミも騒ぎ立てるので、無視するわけにもいきません。現実に、患者から訴えられることも増えています。

そこで、医師としては、訴訟リスクが高そうだと見ると「インフォームドコンセント」に動き、それ以外は「ムンテラ」で対応するといったところが現実になってきます。医師も、この状態が良いとは思っていないと思いますが、このあたりの対応で精一杯でしょう。「インフォームドコンセント」に時間がかかりすぎて、患者の治療という本来の仕事がおろそかになってしまうのは本末転倒です。

とはいえ、患者としても、自分でも病気を勉強して、ひどい医師にはつかまらない程度の防衛は絶対に必要です。無意味に面倒な患者にならないように心がけるべきことについては、過去に記事にしていますので、そちらを参照してください。

この背景にある本当の変化を理解する必要がある

ここまでの話では、訴訟リスクに踊らされる医師という、なんとも「かなしい姿」しか見えてきません。しかし、この背景にある本当の変化は、訴訟とは関係のないところにあります。それは、情報化社会の出現によって「情報の非対称性」が崩れつつある、ということです。

「インフォームドコンセント」の時代が、1990年代後半からはじまっているのは偶然ではありません。それは、インターネットの登場と時期を一緒にしているのです。

過去には、医師の持っている病気に関する知識は、患者からすれば雲の上であり、それを信頼するしか手がありませんでした。このように、なんらかのサービスの提供者とクライアントの間にある大きな情報(知識)の偏りのことを特に「情報の非対称性」と言います。

インターネットの登場以前には、患者は、医師以外の人から自分の病気に関する情報を得ることは(ほとんど)できませんでした。ところが、インターネットの登場以降の世界では、病気になれば、患者も検索くらいのことは当然します。

知力が高い人であれば、自分の病気に関する最新情報くらいは読んでから医師のところに行きます。インターネットの登場以降の世界では、過去には絶望的に大きかった医師と患者の間にある「情報の非対称性」が、かなり小さなものになっていることがわかるでしょう。

さらに、インターネットの発展は、加速度的に進んでいきます。特にオンラインで使える人工知能は、まだ登場したばかりで、その威力が本格的に発揮されるのはこれからです。そして「Siri」のような人工知能の特徴は、この社会に存在するすべての「情報の非対称性」を破壊するのが得意ということです。

医師も、患者も、どちらも同じ人工知能に頼るようになったとき、医師から「病気の診断」という仕事が奪われます(アメリカでは既にこの流れが大きくなってきています)。人工知能は、瞬時に世界中の論文を読むことができますし、常に現時点での最高の知識を持つようになるからです。

結果として、医師はむしろ、手術や治療に専念できるようにもなります。ですから、これは時間のない医師にとっても悪い話ではありません。患者が自分で人工知能に聞いて、治療方針を自分で選択した上で、医師のところにくる(治療方針に対する責任が患者に集中する)ようになるわけですから。

同時に、弁護士のような法律の仕事も「情報の非対称性」に頼っているものです。医師としても、治療を進めるときに人工知能に頼ることで、訴訟リスクを極限まで下げることが可能になるでしょう。そうなると、医師はもっと「あるべき治療」に専念できるようになります。

要するに「ムンテラ」も「インフォームドコンセント」も、どちらも「情報の非対称性」があったからこそ、必要なことだったのです。人工知能の発展は、そうした「情報の非対称性」を破壊していきます。とはいえ「情報の非対称性」が完全にゼロになるには、まだまだ時間がかかります。しかしそれでも、この流れは止まりません。

※参考文献
・内田宏美, et al., 『インフォームド・コンセントをめぐる認識の“ズレ”が問いかけるもの』, 生命倫理, VOL9, 1999年
・奥道恒夫, 『ムンテラとインフォームド・コンセント』, 勤務医ニュース

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