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見守りと監視の違い。それは(本当は)とても大きい。

見守りと監視の違い

「見守り」という言葉を使った「監視」

介護業界には「見守り」という言葉があふれています。それはとても優しいことのようでいて、なんだか行き過ぎのように感じることもあると思います。「見守り」ではなくて、明らかに「監視」になっているケースもあります。まず、デジタル大辞林から意味を見てみます。

◯見守り;見守ること。気をつけて見ること。特に、子供や高齢者に対し、安全な状態にあるかどうかについて注意をはらうこと。
◯監視;警戒して見張ること。また、その人。

辞書の意味からだけでは、わかりにくいですね。これだけ読むと、どちらも、同じ意味の言葉のようにも思われます。ただ、それでも私たちは、この2つの言葉の意味の違いを、心のどこかにしっかりと持っています。「見守り」をしてもらえるのは嬉しいことですが、「監視」されるのは嫌ですよね。

「見守り」と「監視」の違いとは?

実は、相手の行動や状態を注意深く観察する側(見る側)からすれば、「見守り」も「監視」も同じことです(「のぞき」という犯罪レベルでなければ)。基本的には全く同じ行動をしていることもあります。ですから「見守り」と「監視」の違いが生まれるのは、観察される側(見られる側)の問題です。

簡単に言い切って仕舞えば、見られる側が、それによって安心できれば「見守り」であり、それを不快に思えば「監視」なのです。いかに、見る側に善意があったとしても、相手がそれを不快に思うなら、行き過ぎの「監視」ということになります。

「見守り」の目的は、安全・安心の確保です。ですから、見る側が取得する情報は、見られる側の安全・安心の確保という目的の枠内であることが必要です。この目的を超えて、安全・安心とは関係のない、見られる側のプライバシー情報まで取得されるようだと、それは「監視」になってしまうのです。

難しいのは、結果として安全・安心が確保できれば、何をしてもよいということにはならない点です。結局「見守り」と「監視」の違いを決めるのは、見られる側の感情にあります。見られる側は、それぞれに価値観の違いがあるので、見る側は全く同じ観察をしていても、見られる側によって、それは「見守り」にも「監視」にもなるわけです。

介護職の悩みとしてよく聴くこと

介護職は「見守りをしていて、これは監視じゃないかと悩むことがある」と言います。その背景は「自分なら、ここまで他人に見られるのは嫌だな」と感じる領域まで踏み込んで、要介護者(利用者)の行動を観察していることがあるからでしょう。

究極的には「どこまで自分の安全・安心を見てもらいたいか」を決めるのは要介護者であって、それを超えてまで、要介護者を観察するのは良くないことになります。

こうした要介護者の気持ちを無視して、24時間365日の「監視」をしたほうが、結果としては安全が確保できる可能性が高いでしょう。しかし、人間にとってプライバシーは、多少の安全を犠牲にしても、確保したいものです。他人に見られたくないことは、誰にでもあります。

相手の安全に責任があれば「監視」に近い行動をせざるをえない

ここまでの話は理想論です。安全の確保のためには、見られる側の気持ちを犠牲にしなければならないことも、よくあります。実際に、普段は「そんなに監視しないでください」と言っていた人も、いざ、何かあったときは「見守ってくれていてありがとう」ということになります。人間の感情は変化しますので、結果オーライなところも多分にあります。

理想論を離れ、現実として考えると、何も事件がおきないならプライバシーを重視したいし、事件がおきたときはプライバシーなど無視してほしいというのが人間らしい欲求です。勝手なものですが、人間は、自分に何かの危険あったとき「だけ」都合良く誰かに見ていて欲しいのです。

確かに「見守り」と「監視」は違います。要介護者の観察が、行き過ぎたものになっていないか、話し合うことも重要でしょう。しかし、相手の安全に対して責任がある立場ならば、やはり「監視」に近い行動をしなければならないことも多いでしょう。理想を忘れるべきではありませんが、現実もまた重要です。

※参考文献
・加納寛子, 『子どもの安全に関する情報の効果的な共有システムの開発』, 教育情報研究:日本教育情報学会学会誌23(4), 2008-03-15
・宮島麻美, et al., 『バックグラウンドコミュニケーションをベースとした新しい見守りサービス』, 電子情報通信学会論文誌, 情報・システム, I-情報処理 J88-D-I(12), 1785-1794, 2005-12-01
 

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